孫文、監禁から救出される~辛亥革命への道⑥
ロンドンで清国公使館に監禁された孫文。
一途の望みをかけ番人のコールへ助けを求めた。
其の翌日、コールが部屋へ石炭を運んできた。
ストーブの中に石炭を入れながら、コールが石炭籠の上をそっと指差した。
そこには一片の紙切れが乗っていた。
孫文はこの紙切れで自分の運命が決まるのだと覚悟を決めた。
その紙を手に取ると、走り書きでこう書かれていた。
「私は貴方の手紙を友人に届けましょう。室外の番人がカギ穴からあなたを見張っています。手紙はベッドの中で書いてください」
孫文は嬉しさを抑えながら、壁のほうを向いてベッドに横たわると、カントリー博士への手紙を書いた。
そして、手紙と共に全財産の20ポンドを監視員から見えないようにコールに渡した。
翌日、コールがやってくると石炭籠へ目配せをした。そこにはカントリー博士からの返事が入っていた。
短く一言「政府へ今、交渉中なり」と書かれていた。
孫文は神に感謝すると、ひたすら博士からの消息を待った。
カントリー博士は日曜日から孫文の消息が不明になったので、怪しんでいた。そこにコールが手紙を持ってきたのだ。
博士は慌てて外務省や警察署へ行くと事情を話した。
しかし、容易に信じてはもらえなかった。そこで自ら探偵を雇うと、船の航路を調べさせた。
すると、清国の公使館から孫文の乗船が依頼されていたことがわかった。
それを証拠にカントリー博士は再びイギリス政府へ報告した。
政府もこれは大変なことだと気づくと、警察を動員し公使館の周囲を警戒させ、孫文が連れ去られないように非常線を張った。
この事件は新聞社に知られることになり、世間に広がった。
しかし、清国公使館の顧問であるマカートネーは、イギリス政府にも警察に対しても、そんな事実は一切ないと言い張った。
埒が明かないと感じたカントリー博士は、コールの手引きで夜中に孫文を屋根から逃がそうと、その計画をスコットランドヤードに相談した。
それには、さすがに警察署長も驚いて
「もう少し待ってください。表から大手を振って公使館を出られるようにしますから」
と言った。
スコットランドヤードはすでに孫文が監禁されているという事実を掴んでいた。そこで、外務省を通じて公使館に圧力をかけた。
10月13日の金曜日、孫文はマカートネーに呼ばれた。帽子や外套も持ってくるようにと言われ部屋へ行くと、そこにはイギリス外務省の役人と警部、そしてカントリー博士が待っていた。
マカートネーはただ一言「この人をお渡しします」と言った。
こうして、13日に渡って監禁されていた孫文は救出された。
孫文はこの事件の顛末を英文で書くと、ロンドンで出版した。それがイギリス人の間で評判になったという。
それからしばらくして、孫文は同志が潜んでいる横浜へ向かった。
そこで宮崎滔天と出会い、玄洋社メンバーを紹介されることになる。