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無視、ニナル。 -ネットイジメと無視の関係性- イジメ、ニナル。

イジメ、ヲスル。
イジメ、ニナル。

1、ネットイジメと正しさ

イジメをするもの→「行為」としてではなく、イジメにはなるもの→「態様」「関係性」の問題として捉え直した場合に、イジメ問題が頻発しやすい環境というのは“正しさ”に基づいて運営されている場である。


例えばそれは「〇〇はダメ」「〇〇は許されない行為だ」などといった「正しさ」→「否定的なルール」が多いと、その延長線上にイジメ問題が勃発してくる可能性が高まるものである。


その代表的なものとして「無視は悪い」ことだという“正しい”発想と、SNS上などで繰り広げられる「ネットイジメ」とがどのように絡み合ってしまうのかを今回説明したいと思う。


2、無視、ニナル。

イジメを嫌う人ほど「無視」を悪いことだと捉えている印象があるものだが、そういった発想は無視「をする」という「行為」の抑制には効果的に働く“正しい”考えと言える。


しかしその一方で無視「になる」ケース、「結果的に無視をした」形になってしまっているケースの「態様」から鑑みる限り、「無視は悪」という発想はイジメ問題を誘発する危険性がかなり高い。


特に「LINE」を始めとした「メッセージアプリ」上のやり取りにおける「未読スルー」や「既読スルー」などは、「スルー」の文字が示すように、それは「発信者」側に「無視」と認識されかねないリスクが潜んでいることを示唆している。

・未読スルーの問題点
メッセージを発信した段階から既に「無視」されていると捉えることが可能な状態である。しかし受け手がまだメッセージに気が付いていない可能性も容易に想定出来るため、直接的な「無視」とは認識されにくい利点がある。

ただし事前にやり取りをする約束をしていたり、やり取りが日課のようになっていたとしたら、それは「無視をしている」ことに該当してしまう危険性がある。

・既読スルーの問題点
受け手がメッセージを確認しているのにも拘らず反応を示さないということが、ワザと「無視をしている」と捉えられても仕方のない態様をしている。

受け手からすれば単に返答に困っているだけのこともあり得る訳だが、出し手からすればそれを確認する術もないため、不安が不安を呼び、結果的に「無視をされた」「無視されている」と認識して被害を訴えてくる可能性が潜んでいる。

「未読スルー」「既読スルー」
どちらの場合もメッセージ発信者の立場から考えた場合、無視を「されている」「されていない」ことに対して、YESとNOのどちらとも捉えられる「曖昧さ」や「複雑さ」を抱え込んだ状態になっているということである。


こういう場面で受け手側として「無視になっている」ことを考慮に入れていなければ、やり取りの翌日に“いきなり”相手から無視されるような事態に陥る可能性があるのである。


最初に無視を「した(なった)」者=“加害者”は、もしかしたら“被害者”であるかもしれないのだ。


3、無視は悪いこと同盟

こういった無視を「すること(能動)」と無視に「なること(受動)」が重複していることへの認識の欠如が、対人関係に大きな影を落としている可能性がある。

元々はお互いが「無視は悪いことである」という共通認識があるために波長が合いやすく、“トラブルが起こるまでは”友人関係を構築しやすい側面がある。

しかしそのような共通認識こそが災いし、「結果的に」無視に「なってしまった」ような場合にイジメ問題へと発展してしまう可能性を宿している。


特に問題になるのは“被害者意識”が強いタイプで、繊細で傷付きやすいような人ほど無視を「された」と思い込みやすく、“傷付けられたことを理由に”相手にも同じ気持ちを分からせてやろうと仲間を焚きつけていることがあり得るものだ。

だからこそ“いわゆるの加害者”を捕まえて問い詰めてみると、「だって相手が悪いんだよ」などといった発言が飛び出してくる。


その背景にあるのは、

A:「無視をされた」という思い込みの被害からの“加害者に対する”制裁
B:「無視になっていた」=加害の態様を満たしてしまった相手“加害者に対する”制裁

ABどちらもが“加害者であるから”こその反応を示しており、「無視が悪い」ことだからこそ、無視を「した」「なった」相手に厳しく当たる結果を招いているということである。


皆が正しいと思っている「ルール」こそが“加害者叩き”というイジメ問題を生んでいる疑いがある。


4、“正しい”ルールに御用心

「無視は悪い」「無視をしてはダメ」といった「“正しい”ルール」に基づいて関係性を構築してしまうと碌なことにならないのが現実といったところではないだろうか。

「加害者」が「被害者」に。「被害者」が「加害者」に。
イジメ問題の最中で関係性が二転三転していくような状況の背景にあるのは、そんな「“正しい”ルール」にこそ大きな問題が潜んでいるものである。

策士策に溺れるが如く、他者の自由を縛るような在り方こそが自分自身をも縛り付けてしまう枷になりかねないことに重々注意する必要がある。


また例えば逆にルールをあまり気にしないタイプを想定してみた場合、仮に無視されるような状況に陥ったとしても「無視を悪」だとは思っていないことが幸いして、さっさと切り替えて他のグループに移って行き、ルールに縛られた人たちから上手く距離を取れるようになるものである。

もしも一人でいることを恐れないでいれるのならば、また違った相手との出会いの可能性が広がってくるものだろう。


ちなみに稀に見るイジメられていることを全く気にしないようなタイプは、物凄く柔軟な精神性を宿しているか、あるいは単純にルールがよく分からないが故にショックを受けずに済んでいるといったことがあり得るものである。

それはそれでどうかと思うが、まさに(ルールを)知らぬが仏と言ったところではないだろうか。


結びに

もしも貴方が「私は無視が【嫌い】です」と謳うのであれば、それは好みの問題なのでその感性を大切にして欲しいと思う。


しかし貴方が「私は無視を【許さない】」「無視は【悪い】ことだ」などと謳うのであれば、相手の事情も考慮して「結果的に」無視に「なってしまっている」ようなケースを想定しておく必要がある。


それを“無視して”「無視は【悪い】ことだ」という発想を持つ時、それは単なるストーカーと同じ性質の持ち主であることを意味している可能性がある。


相手の無視する自由を侵害する時、加害者に陥っているのは貴方の方かもしれないのだ。

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