🌪イジゲン/いじめ現象学🌋

現象学“的な”発想を基にイジメ問題に少し違った角度から視線を注いでみる、そんなアカウン…

🌪イジゲン/いじめ現象学🌋

現象学“的な”発想を基にイジメ問題に少し違った角度から視線を注いでみる、そんなアカウント。またしてもエネルギー切れ中。ちなみに“客観的”って主観と同じらしいですよ。

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  • 参考になります

    イジメ問題に関する参考になりそうなもの。独特の観点などが得られそうなものを資料として。

  • イジメ現象学 基本

    イジメの問題を現象として捉えて見えて来た見解をお届け👀

  • 仲間外れはイジメじゃない論

    「イジメは群れ理論」からの派生。イジメを群れ、イジメることを群がることだと考えた場合、仲間外れは必ずしもイジメには該当しないという話。

  • イジメ=群れ理論

    「イジメは群れ、イジメることは群がること」を基調にして展開される話。

  • イジメ、ニナル。

    イジメを「する」ことではなく「なる」ものだとして捉えてこの問題を考える。

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失敗者叩き 日本の“イジメ加害者”の正体は、“被害者”と“正義”です。

要するに「加害者叩き」が「失敗者イジメ」になっているということ。 はい、えー、またすぐに更新止まりそうな気がしつつ、取り急ぎイジメ現象学のとりあえずの結論を書き綴って起きます。 それがタイトルにある通りの、 「日本の“イジメ加害者”の正体は、“被害者”と“正義”です。」であります。 正直きちんと伝わるか自信がないのですが、簡単に言えば、「ねじれ」「矛盾」「パラドックス」な構造が深く関わっているということです。だからこそイジメ問題は拗れてくると。 この結論を導くのに最

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    • ざっくりイジメ現象学まとめ

      ガチッとした記事を書きたいと思いつつ、筆は進まぬので、あー、えー、書き散らかすことにする。 Q1.日本でどうしてイジメが起こり続けるのか A.イジメを無くそうとしているから イジメとは群れであり、いわば人間そのものなので、無くそうとすることで必ず誰かがその場から追い出されるような働きが生まれてしまう(クラスから追い出される人間が出てくる)。そもそもの前提認識に問題があるからこそどこでもイジメ問題が起き続けている。 Q2.イジメ問題とは何か A.人間関係の齟齬 イジメは

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      • イジりがイジメ加害にならないための線引きについて イジメとお笑いの大して面白くもない話

        気持ちが悪いと困るのだ。 1、「相手が辛いと思ったらイジメ」の問題点一般的なイジメ対応の在り方、イジメであるか否かを判断する基準として、 「やられている側が辛いと思ったらイジメ」 「被害者の気持ちを第一に考えるように」 といったスタンスを推奨している教育現場は多いものである。 教育業界も客商売だと考えるのであればそれも有りなのかもしれないが、この在り方は「人の気持ち」という曖昧で主観的な認識を土台にしてしまっているため、著しく客観性を欠いた結論を導き出してしまう欠陥が

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        • いじめファウンダー イジメ問題を起こす人たち 仲間外れはイジメじゃない論

          イジメは群れ、イジメることは群がること。 イジメ問題とは群れの問題、人間関係の齟齬によって起こり得る問題である。 1、仲間外れをイジメ問題から除外した世界で一般的に「仲間外れ」はイジメに該当すると考えられがちだが、必ずしもそうとは言えない側面がある。 そこで仲間外れの問題に対し「イジメ=群れ理論」を採用し、 「イジメを群れ。イジメることとは群がること」だと置き換えて考えてみる。 すると、仲間外れは基本的に“群がられている訳ではない”のだから、“イジメられている”こととは

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        • イジメ現象学 基本
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        • 仲間外れはイジメじゃない論
          3本
        • イジメ=群れ理論
          5本
        • イジメ、ニナル。
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        • イジメ現象学 倉庫1
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        記事

          孤立する「√群れ」の存在 イジメは群れ理論

          イジメは群れ、イジメるとは群がること。 1、群れの問題「イジメ」を「群れ」だと置き換えた場合、 「イジメ」とは言わば「人の群れ」のことであり、 つまりは「人間」そのもののことを指しているものである。 そして「イジメ“問題”」とは「人間(関係)の“問題”」であり、人間関係の齟齬や対人関係の拙さなどが主な原因となって起こり得る問題である。 ・“群れ”ならざる者 このような発想を基点にしてこの問題を紐解くと、“イジメ”問題を最も「起こさない」可能性が高いのは、孤立している「

          孤立する「√群れ」の存在 イジメは群れ理論

          仲間外れはイジメじゃない イジメは群れ理論’

          イジメは群れ、イジメることは群がることだと考えた場合、 「仲間外れ」は必ずしも「イジメ」に該当する訳ではないという話。 1、仲間外れはイジメとは限らないイジメ問題の一般的な認識において「仲間外れ」は、いわゆるの「加害行為」と見做すことも多いものである。 しかしイジメ=群れ、イジメることとは群がることだと考えた場合、「仲間外れ」にされているような状況は、必ずしも“イジメられている”とは言えない状態であることが見えてくる。 また“イジメ問題”とは“群れの問題”であり、人間関

          仲間外れはイジメじゃない イジメは群れ理論’

          無視、ニナル。 -ネットイジメと無視の関係性- イジメ、ニナル。

          イジメ、ヲスル。 イジメ、ニナル。 1、ネットイジメと正しさイジメをするもの→「行為」としてではなく、イジメにはなるもの→「態様」「関係性」の問題として捉え直した場合に、イジメ問題が頻発しやすい環境というのは“正しさ”に基づいて運営されている場である。 例えばそれは「〇〇はダメ」「〇〇は許されない行為だ」などといった「正しさ」→「否定的なルール」が多いと、その延長線上にイジメ問題が勃発してくる可能性が高まるものである。 その代表的なものとして「無視は悪い」ことだという“

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          イジメ、ヲスル。→イジメ、ニナル。 態様としてのイジメ問題

          いじめヲスル、 いじめニナル。 イジメ“をする”という認識の他に、 イジメ“になる”という認識がこの国には欠けている。 1、イジメは許されざる「行為」だという幻想やや誇張して書くが、イジメが「行為」だという認識は誤りである。 特に日本のイジメ問題の場合、こんな認識が蔓延っているからこそイジメ問題が頻発する事態に陥っているのである。 さらに言えば「イジメは許されざる“行為”だ」という認識は、イジメ問題を減らすどころか増やす働きがあるものである。 例えば 「他者を傷付け

          イジメ、ヲスル。→イジメ、ニナル。 態様としてのイジメ問題

          “何”ならイジメても良いのだろうか イジメは群れ理論

          1、〇〇ならばイジメて良いのかもしれない巷に溢れるいわゆるの「イジメ」の話題で問題視されるケースは、基本的に全て「人」に「群がって」起きているものである。 しかしイジメは群れ、イジメることは群がることだと置き換えた場合、当然「人」以外のものへ「群がる」ことも世の中にあり得ることを意味している。 例えばそれは「ボール」に対するイジメ、「球技」や「スポーツ」などのことである。 「サッカー」で考えてみれば分かりやすいと思うが、本来「人」を追いかけ回したり蹴り飛ばすことは法に抵

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          「イジメを無くす」ということ イジメは群れ理論

          イジメは群れ、イジメることは群がること。 1、イジメ=群れが無い、とはどういう状態を指すのか「イジメ=群れ」だとして考えた場合、イジメを無くすことやイジメが無い状態というのは、2つの方向性だけが成立し得るものである。 その1つは、群れの中での付き合いをゼロにするということ。 要するに人間関係の一切を持たないということを指す。 学校などで友人関係はおろか私語なども禁止するような方法を採用し、とかく誰とも関係を持たずに生活していくような在り方である。 いわゆる「孤独」「孤

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          イジメは群れ理論 なぜ「イジメ=群れ」だと言えるのか

          1、なぜ「イジメ=群れ」だと言えるのか前回の記事「イジメとは、群れである。」を補足するために、まずはこの問題を調べるに至った経緯から説明したいと思う。 元々は家庭にまつわる問題に興味があって、毒親や機能不全家族などについて調べていた。 そこでは例えば、祖父母に人格障害持ちの人がいて、それが親の精神を蝕み、結果的に孫レベルにまで悪影響をもたらしているようなケースが当たり前のように転がっている。 親が親の問題に振り回され続けることで、子供が安心して親に甘えられるような関係性

          イジメは群れ理論 なぜ「イジメ=群れ」だと言えるのか

          イジメとは、群れである。

          「イジメ」とは「群れ」である。 「イジメ“る”」ことは「群が“る”」ことを指し示す言葉である。 それは能動的な「行為」を指し示す言葉というよりも、 結果的に「発生」している「動態」「状態」「関係性」「現象」などの抽象的な有り様を包括した言葉である。 それゆえに指導の対象となった加害者達は一様に「私はイジメなど“していない”」と謳うのだ。 何故ならばそれは 「する」「やる」「している」というよりも、 「なる」「起きる」「陥る」問題だからである。 だからこそ指導の対象から

          イジメとは、群れである。

          これがイジメのはじまりです 「入れ替わる被害者と加害者」の論理 イジメ現象学

          いじめた人を、いじめた人は、いじめた人には、当たらないのか? 1、入れ替わる被害者と加害者 なぜこの国のイジメ問題に終わりが見えないのか。 その1つの要因として、イジメ問題の当事者やその保護者、さらに教育界をも含めた世間一般の問題認識において、「加害者に対するイジメ加害」が起こり得るという認識が欠落している点が挙げられる。 そしてさらに、そういった欠落した問題認識の延長線上で「加害者と被害者の取り違え」が頻繁に起こり続けているという現実が隠されている。 それは即ち、

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          イジメ遊戯論 足が遅いということ2 仲間外れのジレンマ

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          イジメ遊戯論 足が遅いということ

          イジメ遊戯論 足が遅いということ

          イジメ現象学 「加害者が悪い」と「悪いのが加害者」の違い

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