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日記 文学フリマ、その後①-文学フリマ前、鬱になる-

みなさん、こんにちは。
カラムーチョ伊地知です。

これは日記です。
『あたまがさんかく』という日記マガジンを作っていたんですが、僕はあんまり日記を書く習慣がないもので・・・あまり『あたまがさんかく』を更新していなかったんですね。

しかしながら、ですね、先月の文学フリマから、僕の身の回りがいろいろと変化してきたものですから、これを機に再開しようかと思います。

というわけで、2024年の5月から、書きはじめます。

5月17日

僕は東京に向かっていました。
移動手段はバスです。

僕はこれから、東京流通センターで行われる「文学フリマ東京」というイベントに向かうのです。
移動手段はバスです。京都駅から乗り込み、8時間かけて東京に向かいます。はっきり言って、30歳をとおに超えた男には苛烈と言ってもいい移動手段です。座席は狭いし、肩は凝るし、ろくに休憩も取れないし、ろくに昼飯も食えないし。
しかしながら、僕はこのバスという移動手段がなんとなく好きでした。新幹線ほど早くない。飛行機より、もちろん早くない。このゆったりとした(だけど過酷な)移動手段が、僕はなんとなく好きなのでした。
静岡に入り、しばらくすると、富士山が見えてきます。バスの窓から富士山を見るのも、僕は好きなのでした。

東京に向かう前の三日間、僕は体調を崩していました。
僕は双極性障害という病を抱えていて、普段は元気に、こうやって文章を書いたり、絵を描いたり、料理を作ったり、人と会ったり、インタビューをしたり、記事を書いたり、トークイベントを開催したり、まあ、いろいろと元気にやっているのですが、今は月に一回くらい、「鬱」という状態に陥るんですね。
僕はこの「鬱」の状態を、「鬱」になりながらまとめた本を作りまして、それを今回の文学フリマで対面販売する予定だったんです。

詳しくは上のリンクを見てください。試し読みもできます。

それでですね。僕はこの東京に出発する三日前に、途端に恐ろしくなってきまして。とてつもない、不安に襲われまして。それで「鬱」に突入していきました。
月に一回やってくる、僕にとっては「いつものこと」といえば「いつものこと」なのですが、鬱になっているときは、正常だった記憶が一旦抹消されて、鬱モードへと突入します。つまり、正常だった時の思考のモードが鬱のモードへとカチッと切り替わるんですね。頭のスイッチが切り替わるんです。別の人格に移行する、と言っても過言ではないでしょう。鬱の時には鬱の僕がいて、正常時には正常時の僕がいるって感じです。

それで、もう僕の思考的には

「俺には文学フリマに出店する意味なんてない・・・。どうせ売れない・・・誰も買ってくれないに決まっている・・・」

はい。こういう思考になります。鬱の時の僕ですね。
しかし、直線的にこの思考になっているわけではなく、どこかこの
「鬱的思考」を俯瞰で見ている僕がいる。これは僕の修行のたまものと言ってもいいでしょう。幽体離脱みたいに、布団に横になって、何もできない僕を、天井から俯瞰で見ている僕がいる、みたいな感じですね。
つまり「文学フリマなんかに出られるわけはない・・・」という思考になっている僕を「あーあ、またこいつ、こんなこと考えているよ。いつものことだから、ほっとこう」という俯瞰的視点を持った僕がいる。こんなわけなんですね。
鬱になった当初は、身体ともに、鬱まっしぐらで、鬱状態をこんな感じで俯瞰で見れることなんてなかったんですけど、僕は鬱になってからの三年間で修行を積みまして「鬱状態の俺」「鬱状態の俺を俯瞰で見る俺」「鬱状態の俯瞰で見る俺を認識して安心する俺」というを具現化できるようになったんです。この具現化能力を身につけたことにより、僕はいくぶんか楽になりました。鬱になったら苦しいのはまっしぐらだったんですけど、この状態も数日すれば抜けられるということがわかるようになってきたし、「もう破滅しかない」という極端な思考、を、「あ、俺、また極端な思考をしているな」と俯瞰できるようになったので、いくぶんか楽になりました。それでもまだ、「いくぶんか」ではあるのですが。

それで、僕は文学フリマに行く前の三日間は、この状態を繰り返していたんです。

続きは明日書きます。

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