他人なんて、セミだと思えばいい。そうしたら楽になれる。
このタイトル。実際に「大人と子どもの哲学対話」である高校生から出た言葉です。この言葉が衝撃的すぎて、最後にみんなで振り返りをした時に、参加した子たちが印象に残った言葉として挙げていました。
母の日に考える「母親の存在」
前回の哲学対話の授業日は、母の日ということで、「あなたにとって母親はどんな存在ですか?」というテーマで話を始めました。一人一人に話を振ると、それぞれが自分の母親との関係や最近のやり取りを紹介してくれます。参加者は思春期真っ盛りの男女、そして思春期のお子様がいる大人なので、当然話題は「反抗期」へと移りました。
親に反抗気味な子、反抗期はなかった(まだない)という子、それぞれ。怒りや苛立ちという自分の内側からの感情を、客観的に言葉で伝えるだけでも素晴らしいのですが、初めて会ったメンバーに自分のその時の感情を曝け出して話せている姿に感動してしまいます。親に反抗して、家の壁に穴を開けてしまった話、幾つ穴を開けたか、どこに穴を開けたかの自慢で盛り上がりました。
人が「怒る」のはなぜか
徐々に話のテーマは「怒り」へと移ります。参加者に話を振ると「怒り」を感じて表現する子、感じるけれど表現しない子、そもそも怒りの感情を持っていない子、それぞれいます。しかし、人はなぜ怒りを感じるのか。「怒り」とはどのような感情なのか。そんな話になり始めました。
すると一人の高校生が「セミだと思えばいいんだよ」と言います。僕含めて他の参加者がポカンとなり、「え?」と沈黙。どういうこと?と尋ねると、怒りは誰かに何か期待するから生まれるのだと。だから自分は誰にも期待をしない。他人をセミだと思っている、と。なぜセミか尋ねると、彼は言います。
なるほど。話が通じる、自分のしてほしいことがわかっているのではないかと相手に期待することで、もし期待はずれの結果になったら「なんでわかってくれないんだ」と怒りの感情が生まれる。しかし、僕らはセミに期待をしない。セミは人間に気を遣って行動をすると思ってもいないから。期待をしなければ、怒りも生まれてこない。「セミだからしょうがないな」と納得できる。だからこそ、目の前にいる相手をセミだと思い、変な期待をしなければ怒ることなんてない。
「セミ発言」に、意味不明だった他の参加者も、この説明に唸り、最後の振り返りで印象に残った言葉として、この発言を挙げたわけです。
まとめ
哲学対話をすると何か特定の能力が上がったり、何かができるようになるわけではありません。一つのテーマに向き合い、それぞれが自分の文脈で話していく中で、他者との違いや共通性に気がついたり、誰かの発言からモヤモヤが晴れることがあります。シナリオなんてないからこそ、どこに着地するか、いや着地すらするかもわからない授業が、この授業の特徴だと言えます。ぜひ興味がある方は、参加してみてください。
哲学対話の日程(2023年前期)
6月11日(日)19時〜21時 オンライン
7月9日(日)19時〜21時 オンライン
8月13日(日)@逗子 16時〜18時 対面 終了後に食事会あり
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