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楽しい。ただそれだけ。


なぜブログを書くのか。

タグ付けの候補に
#noteの続け方


と出てくる。


ん、、、?


「続ける」というよりも「楽しい」


まず僕は

文章からもわかる通り


有名大学を卒業しているわけでもなく


文章を書く仕事をしているわけでもなく


ましてや
突出している特技なんてものはない。


強いて言うなれば
毎日髪の毛を切っていること
くらいである。


このnoteを始めようと思ったのも


どこかの誰かが

このブログを見て
何かひとつでも感じてくれたら。


と思ったのがきっかけである。


昨今


時代はもちろん映像である。


そこを否定したいわけではないが


本好きの僕からすれば、

やはり文字も忘れてほしくはない。

との思いが出てくるのも
分かって欲しい部分である。

まあでも


あれほど
贅沢三昧な私生活を見せられると


ゆーちゅーばーなるものに
羨望と嫉妬が入り混じるのも無理はない。

確かに羨ましい。


それで乳を放り出して

ジジィの目を引くのはどうかと
思う毎日ではあるのだが。



副業。不労所得。広告収入。


この言葉たちが文章や映像に

不要な感情を混入させているに
違いない。


この三匹が不要だ。というわけではなく、


土俵が違う、ということである。


おそらくこのコンテンツは

そういった目的で作られたものではない。

誰でも


差別なく


平等に


自分の思いをぶちまけることができる。


みんなで集まる広場である。

自由で良いじゃない。人間だもの。

少し熱くなってしまった
(主にビールではあるが)

髪を切る。

服を売る。

料理を作る。

文字を打つ。


英語の例文のようなこれらは

本来楽しいものであり、


ましてや「続けなければ!」


なんて自分の心に嘘をつくようなことでは
ない。


#noteの続け方

なんかは
まさにそうである。





好きなことを書けばいい。最初から一銭の価値もない。



この文章を書いている時も


漏れなく楽しい。


右手にビールを見ながら


左手にはハマっている
アプリゲームが開かれている。


これを“至極“と呼ばずして
何を至極というのか。


いささか言いすぎた感に
苛まれつつ、


もう一口、とビールに手が伸びる。



noteを続けたいか、


ではなく

伝えたいことはあるのか?



あれば書けば良い


なければ寝ればいい

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