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太陽の家を訪ねて

初めまして。おんせん都市型音楽祭「いい湯だな!」で、会場の体験設計や、企画サポートをしている藤原です。

普段は東京で建築や街づくりの仕事をしています。
今回は、私が普段手掛けている街や建築のUXデザインを音楽フェスに活かして欲しいと誘われて、ご一緒しています!

公式note1本目の記事では、代表の深川が『このフェスにかける思い』を別府という街の文脈も含めて語り、2本目の記事ではブッキングディレクター、プランナの増田が『思い描いてきたフェスを現実のものとするために動き出した経緯』を、深川と出会った頃の思い出も交えて語っておりますが

3本目となる今回の記事は、『いい湯だな!』が目指す「誰もが楽しめる音楽フェス」に近づけるために、先月、別府市内の「太陽の家」という施設を訪ねた記録です。

イベント参加の有無に関わらず、たくさんの方が知るきっかけになるといいなと思い、この記事を書いています。
何か新しい発見があった方は、ぜひ太陽の家を訪れてみてください。


はじめに

物語を始める前に、少し個人的な経験談をお話しさせてください。
私自身が「障がい」に関心を持ったのは、大学生の頃に見たTED Talksがきっかけでした。(2012年の動画です)

色覚障害をもって生まれたニール・ハービソン氏は、生まれてからずっと灰色の世界を生きてきました。しかし、2003年に頭蓋骨に埋め込んだアンテナのセンサーによって、目の前にある色を音に変換して耳に届けることができるようになり、色が奏でる世界を生きることとなったのです。
動画の中で彼は、装着した機械を「身体の一部」であり「五感の一つ」と称し、色を聞く行為を「感覚を拡張する」と表現しています。その言葉通り「一般的に人が目で判別することのできる色数の識別だけでは満足できなくなった」とも発言しています。

この動画の視聴を契機に、わたしにとって「障がい」は、当事者に限った問題でなく、テクノロジーの進歩や周囲の理解などと関わりながら確かにそこに存在しているものであり、社会全体で乗り越えるべきものであると考えるようになり、大学院では肢体不自由児施設の研究をしていました。

そういった経緯もあり、偶然手伝うことになったイベントではありますが、ダイバーシティ&インクルージョンの視点を取り入れたものとするべく、代表の深川と、富士通のOntennaプロジェクトメンバーの方々と同行し、太陽の家を視察させて頂くこととなったのです。


社会福祉法人 太陽の家

太陽の家は、医学的リハビリテーション研究の第一人者である中村裕博士によって、「保護より機会を!」「世に身心障害者はあっても仕事に障害はあり得ない」という理念のもと、1965年に創設されました。

自然に囲まれた別府市亀川の町は、福祉の町として世界的にも知られています。約2万6千平方メートルの敷地の中に、共同出資会社や協力企業の工場や事業所、A型事業所や作業訓練場、宿舎や食堂、スポーツ施設などさまざまな施設を備えており、障がいを持った方々も、安心して働きながら暮らすことのできる環境が整った町と言えるでしょう。

太陽の家、本館。災害時に施設利用者が一斉に避難できるよう、
建物前面には大きなスロープが附属しています。

すぐそばに立つ、スーパーマーケットのサンストアは就労の場にもなっています。太陽の家だからサンストア・・・と聞くと「ハッ!」としますが、深川は学生時代何度もお世話になっていたけれど、この時初めて名前の意味を知ったとのこと。それくらい地域に馴染んでいるんですね。

いつもお世話になっているAPU大学生も多いはず。

サンスポーツセンターには、パラスポーツの練習ができるスポーツセンターや訓練の場(理学療法・作業療法・軽スポーツ等)があり、生活面でもサポートしてくれます。昨今はeスポーツも盛んで、皆さんトレーニングに励んでいます。

サンスポーツセンターと第3作業棟。太陽の家では車いすバスケをはじめ
パラスポーツが盛んで、沢山のトロフィーが飾られていました。

現在、太陽の家ではウクライナ人のろう者のご夫婦を受け入れているそうです。聴覚に障害があるなか戦火に見舞われ、どれほど心細かっただろうか・・・。彼らが日本で生活するにあたり、働きながら暮らせる環境は非常に重要であり、快く手を差し伸べている太陽の家が誇らしく思われます。

共同出資会社が集まる作業棟

広すぎる敷地には横断歩道もあります。押しボタン式信号機をよく見ると、ボタンにふれるだけで作動する仕様になっていました。

近くには、バリアフリーに配慮したATMを備えた銀行もあります。自分の力で働き、お金を稼いで、生活をする。すごくシンプルなことですが、私たちが当たり前のように使っている機械やシステムを同じように使うことが難しく、手助けを必要とする人がたくさんいることを、もう少し意識して暮らしてみようと思いました。


太陽ミュージアム

職員の方に本館やスポーツセンターを案内していただいた後は、隣接する太陽ミュージアムにもお邪魔しました。大分県内の学生は、課外授業で来ることが多いそうですよ。

右の建物が展示室、左の建物があせびホールと体験ゾーン。

今回は右側の展示室を案内していただきました。
創設者の中村博士の研究の歩みや太陽の家の歴史、手が不自由な方の「自分でできる」を支えるための自助具やパラスポーツの体験などがあります。

中村裕博士(1927~1984)が渡航した国のマップ。ピンの数が凄いです・・・
車いすの進化の歴史が分かるような展示。硬くて重そう。

共同出資会社の設立を実現させた、各社の理念と社員の自立モデルが紹介された展示ブースも非常に見応えがあります。

1972年、オムロン(株)の創業者 立石一真氏の決断で太陽の家の中にオムロン太陽電機(株)ができ、日本で初めての福祉工場が建てられました。
1978年にはソニー創業者の井深大氏とホンダの創業者である本田宗一郎氏が相伴って施設を訪問し、その理念への共感を強く示したそうです。
それ以来、太陽の家では、オムロン、ソニー、ホンダ、三菱商事、デンソー、富士通エフサスなど日本を代表する大企業と提携して共同出資会社をつくり、多くの重度の障がいのある人を雇用してきたのです。

「障がい者だからという特権なしの厳しさで、
健丈者の仕事よりも優れたものをという信念をもって」

こうしたトップリーダーたちのまっすぐな熱意や決断が太陽の家の歩みを支えてきたのだと、強く感銘を受ける素晴らしい展示ばかりでした。
大人も子供も関係なく、ぜひ訪れてほしい理由の一つです。

見て学ぶだけでなく体験コーナーも充実しており、パラスポーツのボッチャや、車いすバスケなどに使用されている競技用車いすに試乗することもできます。
私たちもボッチャに初めて挑戦しましたが、施設の方が丁寧に教えてくださりとっても楽しめました。

(結果は富士通チームに惨敗)


最後に

太陽の家のシンボルマークには「麦」と「太陽」がデザインされています。
麦にはきびしさがあり、踏まれてもぐんぐん成長する。そして、太陽に向かって伸びつづける姿に、団結の意味が込められています。

今回のイベントのテーマでもある、「湯の前に⼈は皆平等」。
障がいのあるなしに関わらず、私たちは同じイベントを楽しめるし、いつも通り同じ趣味を持つ仲間として肩を組み、ハイタッチして、友だちになれる。話した言葉をリアルタイムでテキスト化してくれるデバイスなんて、今の時代驚くほど沢山あります。
むしろ、そのきっかけは、ほんの小さな体験や気づきなのかもしれません。

「いい湯だな!」では、富士通のデバイスOntenna(オンテナ)をお借りし、耳の聞こえない方も聞こえる方も共に楽しめるユニバーサルフェスを目指す取り組みを行っています!詳しくはプレスリリースをご覧ください。

10月28日は、ぜひ別府に遊びにきてください!
そして、手探りながら作り上げた「誰もが楽しめる音楽フェス」を体験してみてください。皆さんの感想や意見が次に繋がり、来年はもっと理想に近いものになっていくはずです。

イベントの詳細は公式HPから!


施設を案内してくださったSさん、ありがとうございました!
写真は一部、公式HPよりお借りしております。

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