読者絶対主義は許されるのか
前回の記事では「作品の解釈」についての考察を書きました。
作品を「作品」と「読者」という軸で考えるテクスト論では、解釈が自由になりすぎて ”おれの解釈が全てだ!” というトンデモ論理を運用してしまうのでは?という疑問が生まれました。
ということで今回は「読者の解釈はなんでもアリなのか?」という疑問に対する自分なりの回答を述べていきたいと思います。
例文を出しますので、自由に解釈してみてください。
「でもとにかくさ、だだっぴろいライ麦畑みたいなところで、小さな子どもたちがいっぱい集まって何かのゲームをしているところを、僕はいつも思い浮かべちまうんだ。何千人もの子どもたちがいるんだけど、ほかには誰もいない。つまりちゃんとした大人みたいなのは一人もいないんだよ。僕のほかにはね。それで僕はそのへんのクレイジーな崖っぷち立っているわけさ。で、そこで僕が何をするかっていうとさ、誰かその崖から落ちそうになる子どもがいると、かたっぱしからつかまえるんだよ。つまりさ、よく前を見ないで崖のほうに走っていく子どもなんかがいたら、どっからともなく現れて、その子をさっとキャッチするんだ。そういうのを朝から晩までやっている。ライ麦畑のキャッチャー、僕はただそういうものになりたいんだ。」
出典:The Catcher in the Rye
ここに出てくる僕はつまり、「ガンダムエクシアのパイロットの刹那・F・セイエイ」で、ライ麦畑にいる子供たちは「貧困に喘いでいる小国」の例えで、ライ麦畑のキャッチャーは「ソレスタルビーイング」を指している。
という解釈はどうなんでしょう。
私たちは「作品」を自由に読み、様々な解釈のもと楽しんでいます。
でも、なんでもガンダムで例える青年のように”トンデモない解釈”は許されてもいいのでしょうか。
この疑問に対する回答を2点考えていきます。
①もうすべて読者の自由でいい
解釈なんてすべて読者の自由だ。それが「作品」と「読者」という関係で大切にされるべきだ!という意見もあるでしょう。
どんな作品でもガンダムで例えていいし、常識に反する解釈も認められてもいい。
それもまた読書の楽しみ方の一つかもしれません。
しかし、このような考え方には欠点があります。
「他者との意思疎通が図れない」ということです。
A「この間貸した”ライ麦畑でつかまえて”どうだったー?」
B「うん。俺たちはガンダムなんだって知れてよかった。おれも頑張るよ。」
僕がAの立場だったら2度と本を貸さないし、Bとは縁を切るかも知れません。
コミュニケーションを図るうえでは、「言葉に忠実な解釈」が必要だと思います。
かといって言葉に忠実すぎる解釈はどうなんでしょうか。
A「隙間なく本詰めといて。」 B「わかった。」
言葉に忠実すぎる解釈をするBは、本当に隙間なく本を詰めるためミクロレベルで隙間がないか確認し、マイクロスコープを用いて作業するかも知れません。
このように、解釈にはゆるやかな妥当性が必要なんじゃないかと考えています。
②読者はある程度の妥当性を持って解釈しよう
私は②の意見を支持しています。
①の欠点を補うためには、ある程度は意図を汲み取ることが必要だと考えているからです。
ここで鍵となる解釈として
「作品の解釈は作品の中で完結して行われる」
があります。めちゃくちゃ重要な考え方です。
例えば、この例文をみてAとBの状況を解釈してみましょう。
A「明日、一緒に遊ぼうよ」B「え。明日?」
これでは、Aはどんな気持ちなのか、遊びに誘われた側はなぜ聞き直しているのか等の解釈をするには情報が足りませんね。
「作品の解釈は作品の中で完結して行われる」という考え方では解釈ができません。
ここでもう一つの鍵となる解釈の仕方
「一般的にこう考えられるよねという推測」
が必要となります。
さっきの例文を一般的に考えると、AはBに対して好意がある。Bは明日用事がある。
という解釈ができます。
しかし、情報を付け加えるとどうでしょう
AはBをいつもいじめている最低な奴だ。Bへの新しいいたずらを思いつき、すぐに試したくてうずうずしていた。そこにいじめられっ子Bが目の前を通る。
AはBへの好意はなく、ストレスの捌け口としてしかみてない。いつもいじめられているBはAからの突然の誘いに驚き、またいじめられそうだから遊びたくない。
AとBの関係、前後の状況、行動の定義づけなどが作品の中で書かれているので「作品の解釈は作品の中で完結して行われる」という考え方のもと解釈できました。
このような「妥当性を持って解釈する」ことが重要になってくるのではないでしょうか。私はそう考えます。
まとめ
「作品」の解釈は自由であってもよいが、他者とのコミュニケーションや議論を交わすためには「整合性のある解釈」が必要になってくるということです。
つまり、「トンデモない解釈」は許されないということでしょう。
閲覧ありがとうございました。