うみ・須磨について、街とわたし
私は、地元に残って結婚し子育てをすることをなんとなく拒んでいる。
どんなに自分の地元が心地よく素敵だったとしても、もっと色々な土地のことを知り、訪れ、腰をおろすところを決めたい気持ちが強い。自分の住む街の特徴や景色を自分の中で捉えることができるのであれば、例え街を変えてしまっても、私は街を通してあらゆるものを吸収し、発信していくことができるはずだ。その発信は地域のことが書かれた記事かもしれないし、絵の具や鉛筆で描かれた絵、フィルムで撮られた写真かもしれない。何になるかはわからないけれども、「何かを感じて発信していくこと」は生きる上で非常に大切なのではないかと思っている。
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私の故郷に対するイメージは、大きく湾曲した大阪湾と穏やかに続く六甲山系の山並みだ。
生まれてきて二十六年、神戸という土地から離れたことがない。幼い時は友人たちと自転車を走らせ海へ山へ、十キロ以上離れた繁華街へも内緒で遊びに行ったことがある。地方で自分の故郷の話をした時にはきまって「都会からきたんだね、素敵だね」などと声をかけてもらうことが多いのだが、私からすると海や山やの自然のイメージの方が強い。「都会の神戸」は本当に中心の一部だけである。
私は神戸でも比較的西部に位置する須磨区の生まれだ。
須磨は源氏物語や平家物語にも登場する土地で、山手には大きな厄神さん(多井畑厄除八幡宮)もある。この厄神さんは日本書紀にも記されていたりと、何かと歴史ある土地だ。そんな須磨の南部に生まれてずっと暮らしている。
電車は海沿いをJR山陽本線と山陽電鉄、山手には神戸市営地下鉄も走っておりアクセスは比較的に良い方だ。中でもJR須磨駅は改札を出てすぐ南に海岸が広がっている。駅のホームからも海が見え、開放感がありホームのベンチに座っているだけで心地がいい。また、三宮などの繁華街へも電車で十五分一八〇円と便利な土地だ。
そんな小さな都会で私は暮らしている。
ずっと見慣れてきた海の景色。視界の左手からは大阪・南港〜泉南が真ん中をすぎるあたりまでぐるりと囲む。反対からは明石海峡大橋、淡路島が並ぶ。天気のいい日は岩屋や夢舞台のあたりだけではなく、由良町のあたりまで臨むことができる。海にはコンテナ船やタンカー、クルーズ船、漁船がぽつぽつ並び、空には関空や神戸空港を離発着する飛行機が飛び交う。
夕方になると淡路島や明石海峡大橋のあたりに沈む夕日が空を紫や橙に染め、逆光で須磨浦の山々が真っ黒になる。夜には電車の走る音と波、時々船の汽笛が鳴り響いてくる。
駅前には焼き鳥屋が並び、地酒や地方の酒が多く並ぶ酒屋、有名な唐揚げ店、おしゃれな夜カフェが楽しめるカレー屋、おなじみ餃子の王将もある。小洒落たバーもある。夜遊びにも事欠かない。
須磨はこんな場所だ。これはみんなが思う都会だろうか。
須磨駅付近だけでなく、小さい時暮らしていた東須磨・板宿近辺も賑やかな街だ。大きな商店街やスーパー、小学校がある。もちろん飲み屋も多いし、美容院が異常に存在する。ここからもっと山手に住む住人のために市バスも多く走っている。緑色の神戸市バス。みんながおもうアーバンな都会とはかけ離れた景色だ。地方都市的な面は意外に多い。
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都会にほど近い穏やかな街で暮らすことが全てではないけれども、街や人との距離感を大切にしている人間にとっては非常に重要なポイントである。
別の土地に腰を降ろす前にもう少し故郷のことを好きになる、もう少し詳しくなる。「自分が街の一員として地域に貢献できる」ことが可能ならば、きっとどんな街でも暮らしていけるはずだ。
そんなぼんやりとした、穏やかな将来を想像して毎日過ごしていく。
サポートされるってどんな感じですか? でもマイペースに進んでいきたいと思います