『読みたいことを、書けばいい。』を読んで得た気づき②(2020.1.9)

▼こちらもぜひ読んでみてください!
『読みたいことを、書けばいい。を読んで得た気づき①』
https://note.com/iincho/n/nfb49adeee322

『読みたいことを、書けばいい。』(田中泰延・ダイヤモンド社)を読んで、打ちのめされた文章は他にもある。

「ライターになりたい」
「自分の思いを届けたい」
「バズる記事を書く方法を知りたい」
「上手な文章の作法を身につけたい」
「書くことで生計を立てたい」
だが、ほとんどの人はスタートのところで考え方がつまづいている
(同書P.33)
読み手でかまわないなら、読み手でいよう
(同書P.103)
言葉とは、相手の利益になる使い方をすれば、相手の持ち物も増え、自分の持ち物も増える道具なのだ
(同書P.231)

名言だらけ。

著者は電通のコピーライター・CMプランナーだったそうです。
コピーライター(現職・元を問わず)が書いた本は数あれど、
ここまで「現実的、かつ、グサっとくる文章」
ガンガン並んでいるものは、まずないんじゃないだろうか。

「ライターになりたい病」に陥ってしまった人々を
「ふつうの道」へなんとか戻そうとする
キャッチャー・イン・ザ・ライ的精神を感じる。

「これを読んでも、まだライターというものになりたいですか?」
志が問われる本である。

「あ! 私はライターになりたいのではなく
 面白い文章を書く人を知らなかっただけ。
 そして今見つけた!」
と救われた(笑)人も、いるのではないだろうか。

さて、私の甘い考えと心が、いい感じにへし折られたところで、
中でも衝撃だった箇所をご紹介しよう。
(あんまり引用が過ぎると著作権法違反で怒られそう…)

(前略)「随筆」という分野で文章を綴り、読者の支持を得ることで生きていくのが、いま一般に言われる「ライター」なのである
(同書P.59)
わたしが随筆を定義すると、こうなる。
「事象と心象が交わるところに生まれる文章」
(同書P.54)

随筆・・・・・・・・・・・・・・。

著者の田中氏の定義は
今、日本で使われている「エッセイ」ということばにも
当てはまると思う。

ここで話は飛ぶのだが、
お笑いコンビ「ハライチ」の岩井勇気さんが、
エッセイ本『僕の人生には事件が起きない』(新潮社)を出版した後、
テレビ東京系でお正月に放送された「新春千鳥ちゃん」というTV番組で

・お笑いじゃダメだったけど本で花咲いた人みたいな感じで扱われる
・エッセイストみたいな…
・エッセイストが1番意味わかんないでしょ
エッセイストになっちゃったらヤバいからね、人は

という趣旨の発言をしていて、
私はふかーく考えこんでしまったのである。


実は私は

「エッセイストもちょっといいな」

とか思っていたのである。小さい頃から。今の今まで。

でも、岩井の「ヤバい」で考えた。

・・・現代日本で、
「エッセイスト」メインで活動しており、
かつ論調に説得力がある人というのは
酒井順子・・・。
やさしい言葉と丁寧な文章で書かれているが、その内容は
社会学と言ってもいいんじゃないかというくらい濃ゆく、
「負け犬」旋風まで巻き起こしたインフルエンサー。

平松洋子。
この方もただエッセイを書くわけではなく、
料理探求家というか、食に関する研究者という感じがする。

他に「エッセイで人気がある人」というと
阿川佐和子→タレント(司会者・インタビュアー)、小説家
福岡ハカセ(福岡伸一)→生物学者
三谷幸喜→脚本家・映画監督
佐藤愛子、三浦しをん、川上弘美、村上春樹→小説家

古くは随筆の名手として
清少納言や兼好法師もいるが(古いな)
清少納言は「女房」(中宮様の側仕え)で
兼好法師は「僧侶」である(この時代、貴族が出家した後の僧侶が「職業」だったのかよくわからないけど…単に隠居して悠々自適な無職だった可能性もあるけど…)。

あ、中村うさぎを忘れていた! 20代の時、私は彼女のエッセイにかなり強く影響を受けました。 
うさぎさんはしかし、今は書いていないけれど、「小説家」だ。
うさぎさんは必死で生きてきただけで、
しかしうさぎさんの生き方はとにかく金がかかるので、
その稼ぎの手段がたまたま「文章=エッセイ」だったという流れだったんじゃないかと思う。
彼女は自分を「作家」だと捉えており、
エッセイストとして食っているとは本人も思っていないと思います(完全な推測だけど…)。
大病をされたが、その後本も出ていて、私はうさぎさんが生きているだけで、うれしい。

・・・要するに、みなさん「本業」があるわけである。

エッセイストになろうとしてなるのって、
むずかしいんじゃないか…

というか「なろうとしてなる」ものではないのでは・・・。

本業がある中で、その人の日々の勤め・思索から
滴り落ちる一滴一滴、それがエッセイとなるのではないか! 

そこに需要があるから「エッセイ書いてください」と依頼が来るのではないか。

そして「連載が人気なのでまとめて1冊の本にしましょう」となるのではないか!

ガーン。ガガーン。。。


いや待て、私の夢は「エッセイスト」になることなんだろうか?
「エッセイで食っていきたい」のだろうか?
否である。「エッセイ」はすでに書いている(この文章がそうだ)。そしてこれで食っていきたいわけじゃない気がする。

「エッセイスト」という肩書を手に入れて
さらに怪しい「コメンテーター」という職業につきたいのか?
それも否だ!!!
何か専門分野があり、その知見を買われて呼ばれるならまだしも、
マスコミで門外漢のことまで発言するような人になりたいわけではない。
(一方で、コメンテーターという肩書で食っている人は
 努力してそうなったんだろうし、すごいなと思うし、苦労もあるだろうし、ニートの私が何か言う筋合いはありません)

とりあえず私が今の状態で「エッセイストになりたい」というのは完全に間違っており、
中学生が「YouTuber1本で食っていく」と言ってるより、さらに現実味がないことはわかった。

ライターもエッセイストも違った。

ああもう何重にも恥ずかしい。仕事辞めたけど夢が違う!!!(笑)

穴があったら入りたい。
とりあえず自宅に引きこもりたい(すでに実行してる)。

・・・どうする?!
やっぱり・・・ここはフツーに就活すべきなのか?!??!

(人生は)続く・・・!!

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