2021.7.12 わたしの(まだいない)子ども(たち)
事情を知らない方へ→さいきん引っ越しまして。
▼東京→関西引っ越し記(マガジン)
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でも思ったんですけど、これ小さな子どものいる引っ越しだったら一体どうなってるんだろう。ものすごい労力なんだろうな…。子どもは何もできないし、子どもが1人増えるごとに手間は二乗で増えるんじゃないだろうか。単純に荷物も多いし。
▼ここ数年、「高齢出産(初産が35歳)」の年齢になってから、子ども産んでなくて申し訳ないという思いが強まった。
女性は、子供が(社会的に)産めるようになってから身体的に産めなくなる約25年くらいは、ずーっと、子ども産むのか産まなくていいか考え続けなくてはならないのかな・・・。
▼私の知っているママたちはほとんどみんな疲れている。でも(あえて人には言わないのかもしれないけど)子どもの笑顔と寝顔は、これまでの人生で味わったことのない幸福感を与えてくれるだろう。後々もずっと「子どもの成長」と「親孝行」という楽しみがあるだろうし(家族仲がうまくいけばね・・・)。
▼こんなことをいちいち考えるなんてイカれていると思われると思うのだが、自分の生育環境及び法律業界の経験がそうさせる。
そして私のような経験をしても、産む人は産むし、産まない人は産まないと思います。これは極個人的な事柄なのだ。
▼まあ、いろいろな事情があって、いろいろ考えながら、私は子どもを産んでこなかったし、おそらくこれからも産まないだろう。
このことに関して誰からも何からも「強迫」されたくはない(何なら結婚と出産については小~中学生の頃からずっと考えてるんで・・・)。
子どもがいるといいことがあるのはわかるし、いないときっと寂しく思うことも予想はしている。子どもがいる人もいいな~と思う。
でも子どものいない(結婚もしていない)私の人生もこれはこれでいいな~と思っているのだ。
ただ、確実なのは、少子化を食い止めるためとか、国家のために、産むわけではないということ。「子どもを産まないなんて、将来の国や年金はどうするのか?」「産んだ人と産まなかった人に差をつけよう」・・・そういう発想にはならないでほしい。
子どもがいてもいなくても、女性の人生は、全員、充実していてほしいと思う。子どものために我慢し続けた人生だった、子どもがいたから(いないから)不幸な人生だった、そんな風になってほしくない。
でも、それもまた個人の選択である。私からは「我慢」に見えても、その人にとっては明確な目的であり手段なのかもしれない。大きなお世話である。
▼私が教師になりたいのは、「私は子どもを産まなかったけど、みんな私の子どもたち」と言えたらいいなと密かに思っているからだ。現場に行ったら粉砕される理想論かもしれないですけど(笑)
私がクリエイターでありたいのは、作品はみんな私の分身だからだ。
▼この社会に生きる全員が、結婚とか子どもとか仕事とか貯金額とか血筋とかLGBTQとか障害とか、いろいろ違うし大変なことあるけどそういうのはさておき、「胸を張って生きていていい」ということになってほしい。
そうしなくては。
これからも書き(描き)続けます。見守ってくださいm(__)m