シェア
ブログに連続で書いていた常陸国風土記に関する「考察」をまとめて新しいマガジンとしました…
ようやく常陸国風土記の舞台、茨城に行くことができました。ただし、一泊二日。11月5日午前9…
常陸国風土記の現代語訳を始めるにあたって、私は原典に忠実な訳をすると約束し、ほぼその通…
翻訳とは精読なんだな、と常陸国風土記の現代語訳をしながら何度も思いました。ただ読んだの…
春日蔵首老を常陸国風土記の重要な書き手として捉えるとすると、その生涯のエポックは和銅7…
春日蔵首老と山上憶良、二人は同じ大宝元年(701年)、初めて記録(続日本紀)に登場します*…
春日蔵首老の作る歌や文章には、しばしば深い孤独感が漂います。「つらつら椿」や「真土山」以外にも、「つのさはふ 磐余も過ぎず 泊瀬山何時かも越えむ 夜はふけにつつ*1」「照る月を 雲な隠しそ 島陰に 我が船泊てむ 泊り知らずも」も同様です。どちらも暗闇の夜の旅に同行者がいないかのようです。ことに後者は船旅ですから、一人きりだったはずはないのですが。 こうした老の特質は、常陸国風土記で、倭武天皇の孤独を泉水で手を洗う描写として形象化したところにも示されていました。こうした表
天の海に 雲の波立ち 月の船 星の林に 榜ぎ隠る見ゆ 万葉集巻第七冒頭に置かれた柿本人麻…