きっと生きたい。
「死にたい」とよく思う。
1年前の秋にパワハラ上司とうまくいかず、酷く落ち込んでから特に思うようになった。
今年度からその上司は異動して、周りの環境は変わった。
しかし、死にたいと思うことは日常的になってしまって、なかなか治るものではなかった。
常日頃「死にたい」と思うが、本当に死にたいのだろうか。
きっと違う。
ゆっくりしたい。
周りに気を使いたくない。
感情を出したくない。
休みたい。
死んではいけない。
そんなことはわかってる。
死んだら、周りは悲しみ、親は絶望感に駆られることだろう。
それは、私の望みではない。
親孝行だってしたいし、今まで支えてくれた人に恩返しがしたい。
でも、自分死んだら周りが悲しむのを見ることはないし、それらを見たとしても感じることはできないだろう。
自分勝手だって思うけど、実際にそう思う。
きっとこの感情は、「死にたい」のではなく、「休みたい」「気を使いたくない」「関わりたくない」と言った感情だろう。
うまく立ち回る人は「転職」「病気休暇」をするのだろう。
でも、それを決断するのは罪悪感に押し潰されそう。
これは、何かの病気だったらどんなに楽か…。
「死にたい」でもきっと「生きたい」
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?