「死にたい」とよく思う。 1年前の秋にパワハラ上司とうまくいかず、酷く落ち込んでから特に思うようになった。 今年度からその上司は異動して、周りの環境は変わった。 しかし、死にたいと思うことは日常的になってしまって、なかなか治るものではなかった。 常日頃「死にたい」と思うが、本当に死にたいのだろうか。 きっと違う。 ゆっくりしたい。 周りに気を使いたくない。 感情を出したくない。 休みたい。 死んではいけない。 そんなことはわかってる。 死んだら、周りは悲しみ、
体育祭、運動会のシーズン 最近は春にやる学校も少なくない。 最近の子供は習い事や勉強、中学校だと部活に一生懸命だ。 とつぜんですが、 行事って必要ですか? 無いと立派な大人にはなれませんか? 責任感が無くなりますか? 頑張る力、創造力がなくなりますか? 子どもたちは疲れている。 体力が昔よりも無いのかもしれない。 子どもはなんでも一生懸命。 これ、大人になるまでその気持ちでいけますか? 一生懸命な気持ちをいいことに、詰め込みすぎていませんか? 全部全力ではなくて
私は学校の先生。 学校に来ている子どもたちを「教え」「育てる」のが仕事。 では、来られない子どもは? 家庭訪問や保護者への電話連絡、親や同居している祖父母の心のケアまで意識する。 なんでかって言うと、家庭の環境がそのまま子どもの成長に関わるから。 協力的な家から無関心な家もある。 学校に来ている子どもよりも、もちろん不登校や非行生徒に対応する時間は多い。 ここで私の悩み…。 来ている子どもに時間をかけられないのってどうなんだろう。 子どものしつけ、学校に来させる(教育を
あなたは周りに恵まれているね。 よくそう言われることがある。 自分でもそう思う。 落ち込むことがあっても周りに、支え、励まし、笑わせてくれる。 そんな時、一時的に元気がでる。 でも、それを超えるくらいしんどい時はどうしたらいい? もう、終わりにしたいと思っていた時はまだ頑張ったほうがいい? 頑張ることに疲れます。 死にたいと思うことがよくある。 一度休みたい…。 弱音を吐くと、また支えられる。 いつまで頑張ればいいんだ。 応援は嬉しい。 でも、もう休ませて。
僕は、何かに追われるのが嫌いだ 子どもの頃は、時間も気にせず遊んで、寝て……。 そんな、日々が懐かしく、羨ましい。 そう思う僕は、大人になりきれてないのかもしれない。 でも、大人になってしまった。 毎日仕事に追われて、様々な責任を負いながら生活していく。 起きる、朝ごはん、出勤、仕事、昼ごはん、仕事、退勤、風呂、夜ご飯、寝る 毎日同じ 職場の人は、プライベートで生きがいを見つけると言っていた。 趣味と呼べるものを始めてみたけど、それもやらなくてはいけなくなる。