わたし

私を傷付けた人と私が傷付けた人、どっちの方が多いのか数えた時に前者の方が多いなら私の人生に悔いはない。私に救われた人がいるとしたらそれはもう嬉しいとかいう言葉では収まらないくらいの感情になる。利用するより利用される人間になろう、そう考えて生きているし私の考え方や私が綴る言葉で誰かを少しでも楽に出来たら嬉しいなと思いこうして常日頃文章を書いている。正直私は自分の文章が好きではない。本当は心の中はぐちゃぐちゃで霞んでいるのに綺麗にまとめて文章を書く癖があり、私はこんなことを思ってる訳ではないのにと思うことがあるけど、その反面、その癖に救われることもある。全てが嫌になった時に綺麗な文章を見ると心が落ち着くのだ。世界で一番好きだった人にこの話をした時「私は貴方が書く文章って最高だと思いますよ」と言って貰えて嬉しかった。本当に本当に嬉しかった。私は今まで人間らしい醜さを嫌というほど見てきた。多分、見なくて良い所まで見すぎてしまったんだと思う。小学生の時、クラスで一番人気のある可愛い女の子が泣いてしまった時にみんなが一斉にその子の所まで行って慰めているのを見て、羨ましくて泣いてしまった。だけど、私の所には誰も来なかった。嫌なことばかり続いて疲れてしまった日、一人で抱え込むには辛すぎて家に帰ったら親に話を聞いて貰おうと私にしては珍しくそう思って家に帰ると、「知り合いの話を聞きに急遽出かけてくることになったのでお留守番していてね」と置き手紙があった。この時に感じた感情は未だに言葉に出来なくて、言葉にしたくもなくて、これ以上に辛い出来事なんてたくさん経験したはずなのに何だかんだずっと胸を締め付けるのはそういう些細なことだったりする。私は人を嫌いになれない。期待してしまうしすぐに信頼してしまう。だから東京は生きづらい。だけど田舎は田舎で干渉されすぎて生きづらい。結局私は生きづらい。私を心中に誘ったあの子のことを未だに考えるし私の頑張りで次第で笑顔になれた人はたくさんいると思うし、実はそんなにいないと思う。全部を知って貰って受け止めて貰ってこそそれが本当の愛だと思っていたけど、何も知らないのにずっと隣にいてくれる方がよっぽど愛なんじゃないかな。私の全部を話してしまったらそれは愛じゃなくて執着になってしまうと、思った。知らないままで良いよずっと知らないで知ろうとしないで黙って傍にいて。それで良いよ。

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