私のこと

私は一人っ子で幼少期から目上の人とお話する機会に恵まれた影響で、目上の人のいるコミュニティつまりバイトや部活動ではよく話せるけれどクラスなどの同い年のみのコミュニティでは今まで散々な経験ばかりで、とにかく目立たないように息を潜めて過ごしている。だけど、私は狙った人と仲良くなることが得意で「あの人と話してみたいな」と思った人と実際に仲良くなれて親友になれたケースが多い。裏を返せば話してみたいと自分の中で思わない限り仲良くなれないのだけど。そして、これは長所であり短所であるが私は人一倍、いや二倍三倍感受性と想像力が長けている。友達が話す友達の話を聞いて泣いたことがあったり会話の中で想像力を褒められることが多すぎて初対面で必ず言われる言葉は「目大きいね」と「想像力豊かだね」だ。感受性と想像力が上手く作用したおかげでこうして文章を書けたり、誰かの心に届く言葉を出せるけれどそれが行き過ぎているせいで自分で自分の首を絞めてしまう瞬間や上手く生きられない瞬間がある。私の個性は私を守ってくれる場合と私の命を攫ってしまいそうになる場合がある。諸刃の剣だ。

そして私は、言葉が、文章が好きだ。好きと言うより私の一部だ。文章上でしか私は私を表現出来ないし私が私を知る方法は文章を書くことのみ。私は凄く口下手で、だけどそれと同じくらい私は簡単に言葉を引き出せる。気持ちを押し殺して優しくすることが私にとっては容易で、相手にこれを言えば依存してくる、と明確な言葉を振り掛けることが出来る。台詞が浮かんでくる。

私は人が嫌いで同じくらい人が好き。今まで散々な裏切られ方をしてきたり、人間の醜い部分や弱い部分を物心つく前から見てきて、自分の中にある弱さに直面してきたせいで私が人間であることを呪いたくなるほど本当は嫌いだ。だけど、そのくらい嫌いだからこそ人間の優しさや強さを見たときの感動は忘れられなくて。私の夢は中学三年生で見つけた「人間を超えること」だ。人間という枠の中で悲しみや苦しみを受けていることがあまりに小さくて在り来りで、私は人と同じことをして同じように死にたくない、私は私であり続ける。そう思う私はきっと、実は一番平凡で超絶人間なんだろうなと思う。

私は素直、だけど人より理性的。私の中には沢山の矛盾があって私はその中に包まれて生きているような、地に足付いていないような、そんな中で生きている。時々、壁や物に捕まっていないとフラっと消えてしまいそうな感覚、又は身体と心が違う場所にあるような感覚になる。これは比喩ではなく本当に感じていて、この原因は未だに分からず病的なことか精神的なことか分からないけれど、自分が今ここにいるという確証を持てた瞬間は生まれてからなくて、ずっと何処か違う場所にいるような気がしている。その不安定さに怯える夜や自分で自分を投げ出してしまいそうになるときや全てを壊したくなるとき、全部が気持ち悪くて自暴自棄になるときがある。綺麗に生きるなんて程遠い生活と部屋に囲まれ、執着のような愛に縋って、縋られて生きている。綺麗なあの子に一番近いのは私なはずなのに何で私がこんなに汚れているんだろうね。だけど空は味方。言葉は私の武器。私はそう、生きている。

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