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[再録+α]2017年の日記帳から①

(まずは2017年の日記帳から‥)

霧深い渓谷を、戴冠した巨木が歩いている
ソファに寝そべったあなたは、少女の仮面を着けてウイスキーを飲んでいる
テレビを点けて、流れる、古い町並みを眺めている
時には樹木の跫音が響いてくる
硝子戸を開けて、あなたはバスタブに身を沈める
透き通った緑色の翅をつけて、小さな精が窓の間隙から入ってくる
あなたは彼に気づいてか、気づかずにか、仮面を着けたままで大きなあくびをする

『無題(仮面)』

来月になったら休みがとれるから、そしたら仮面を見に行こうなんて思っているのだけども、そんなつもりは全くなかったが私は(たぶん)仮面が好きだ。
一時期は能楽を習っていたほどだが、残念ながら仮面(ではなく能楽では「面」と書いて〈オモテ〉というけれど)を着けて舞う前に辞めてしまった。

最近はある意味、仮面好きが高じてというのか、人形浄瑠璃に興味があってあれこれ調べていたりする。
小さい頃は人形劇だとか好きではなかったというか、菊人形を見たときは号泣したけどもそれはまた別の話として、そもそも舞台の上のもの自体あまり興味が無かった。
(それどころか映画にさえ興味を持っていなかった気がするけども、その頃から好きなジャンルとか傾向とかはっきりしてたからかなと今では思う。テレビで能楽を見て自分もやってみたいかもと思ったし、或るとき見た舞踏には一目惚れした)

(今はひとつも所有していないけれどピエロの人形を集めていたことがある)

来月見に行こうと思っている仮面はひとが着けていたりするものではなくて、博物館の壁に掛けられていたりガラスケースに収められて展示されているものだ。

仮面が存在すること自体、呪(まじな)いなのだと思って見ている。
仮面は伝染するものであるし、中に含んでいるなにかしらを後世に引き継がせてしまうものであり、異界の媒体でもある。

言い換えるなら、仮面があるなら、仮面があるところには異界がある。いろんな意味で。

(‥2017年の日記帳ここまで)


[解題]

今回から突然始まりました新シリーズです。
6年前にやっていたブログの記事のバックアップを発見したので、改めて載せてしまおうと思います。

書きあぐねていた頃のわたしは「詩と、エッセイのようなもの」を書いていました。
自分がファンタジー系の物語を書くようになるなんて夢にも思っておらず、読んでいる本はもっぱら純文学系でした。ここから現在に至るまでには何かしら心境の変化があったんだろうなぁ、と思いつつ過去の日記帳を引っ張り出していきます。

そして仮面って良いですよね。わたしは仮面なら被るよりも断然、飾りたいです。
そう遠くはない場所に民俗学の博物館があるので、どこかの民族の仮面や祭儀の道具なんかを見に行きたいなと思いつつ、タイミングを計っています。

仮面を通して異界を覗きたいという願望があります。
ちなみにわたしが知っているある種の仮面には目の孔が開いていません。
それってどういうことなんでしょうね。
前が見えない状態で、異形の姿になって踊るというのはそれ自体、完全に日常から切り離された出来事ですね。

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