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パズルのピース #7 最後のパズルのピース

なぜ殺意と憎しみをぶつけられていたのか?

3歳で既に殺意を向けられていた、ということは、その原因が私にあるとはどうしても思えなかった。

育児ノイローゼだったから?
精神を病んでいたから?
代理ミュンヒハウゼン症候群だったから?

何かの病だったなら、母の精神構造を分析して、その原因を見つけ出すことができれば、私は存在を認められて愛されるのだろうか?
私は自分で自覚がないところで、そんな期待を持っていたのかもしれない。

だから記憶の断片を集めながら、自分にされたことの残酷さに怒りながらも、どんなに苦しくても、その疑問を手放さずに追い続けていたのかもしれない。
 
性虐待の原体験の記憶にはまだ続きがあった。
その記憶の断片が最後のパズルのピースになった。

私はお風呂から上がって、母に助けを求めた。
怖かったから。
そんなことをするお父さんはおかしいと言って、私の味方になって守って欲しかった。
でも母は、私を無視して父の方へと向かっていった。
そして、二人でニヤニヤしながら話し合った後、母は私の方へ来て問い詰めた。

「その触ったものは硬かったか?」と。
「それはない。」と少し離れたところから笑いながら言う父。

私は何を聞かれているのかわからなかったので、「わからない」と答えた。

そうしたら母が「わからないわけないでしょ。硬いか柔らかいかくらいわかるでしょ。」と苛立ちながら、さらに問い詰めてきた。

私は、硬いの基準がわからないと思いながら、恐らく求められている方の答え=柔らかかった、と勘で答えた。

母は「それならいい」とぶっきらぼうに言ってその場を去った。
私は勘で答えたことが当たりだったことにほっとした。
 
この会話の意味を幼児の私は全くわからなかったけれど、今の私ならわかる。
母は、父が私に対して性的に興奮したかどうかを確かめたのだ。
それも母として私を守るためではなく、女として私に嫉妬しながら。
幼児の私に。

そしてその後、私は背中を突き飛ばされて階段から落ちたのだった。
母は、父の愛情を奪うかもしれない私を消そうとした。
 
父が外に女を作って家を出ていきそうになったときも、父の性の相手に私を差し出して父を家につなぎとめる役を背負わせた。

母は自分で娘(私)を差し出しておきながら、娘に愛人を投影し、愛人への憎しみを思い切りぶつけていた。
その殺意のこもった憎しみを私はぶつけられ続けていた。
 
私は周りの人たちが言う「優しくてお上品なお母さん」とか「子どもの面倒をよく見るお母さん」とか、そういう言葉に惑わされていて、家の中では全く違う姿になる母のことを、そうなるのは私に原因があると思っていた。

というよりもそう思わされていた。
だから自分の中に原因を探し続けて自分を責めていた。

でも、性虐待をされて助けを求めた幼児の前でさえ、母ではなく女のままで父と猥談をしながら、幼児が理解できないことを、とことん問い詰めてくる姿を思い出したとき、全ての謎がつながったように腑に落ちた。
 
私がずっと母から向けられてきた殺意のこもった憎しみは、女の嫉妬だったのだ。
母は、外向きには完璧に聖母を演じながら、家の中では嫉妬に狂った、ただの女だった。



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