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感情の層を潜っていく:ロードマップ

感情は層になっている。
果てがないような怒りの層の下には、静かで複雑な感情が層になっていた。

怒りの層では、親のやっていたことは間違っていると認めさせたい、それを第三者に認めてほしい、そんな酷いことをされて当然な存在なんて居ない、など、善悪で親を裁きながら怒り続けた。

そうやって怒れば怒るほど、どこかから親が擁護されるような反論が浮かんできて、その反論に対してまた反論するという風に、いつまでも頭の中で闘っているような状態だった。
 
世間一般で言われている「子どもを愛さない親はいない」とか、「自分が親になればわかる」とか、そういう風に親が善であることが前提な風潮にも窒息させられるような感覚になった。

そう信じている人に、そうではない親がいること、卑劣で残酷なことを平気でやる人間が親になることもある、ということをわざわざ知らせる必要があるだろうか?と思うと、私がやられてきた悲惨なことは一般の人たちが一生知ることがないまま終わっていくような、公には出してはいけないことのような気がした。

そう思うとより一層、自分はそれらのことを一人で封じ込めて抱えて生きなければいけないことに耐えられない気持ちになった。
 
私が体験したことは、世間一般の人たちは一生知らずに済むこと。
知りたくもないこと。
表に出すことはタブーとされること。
そんなタブーに閉じ込められて表面的にきれいに見えるように生きなければならない圧迫感で窒息しそうだった。

封じ込めているタブーが圧縮された怒りとともに時限爆弾のようになって、いつ爆発してもおかしくない予感に怯えながら、生きる背景が全く異なる人たちの中に入っていくことができなくなった。
 
自分のことが全くわからない真っ暗な空洞が、蘇る記憶とともに少しずつ見えてくる。
自分に何が起きていたのかを知るにつれて、真っ暗な空洞に怯えることからは解放されていく。

一方で、自分に起きたことがあまりにも悲惨すぎることに、はじめは強い衝撃で何がなんだかわからない茫然とした感覚になる。

どう受け止めて処理すればいいのか混乱してわからなくなる。
こんな記憶があったら、日常を送ることができなくなる。
だから消えていたのだと、人間が生き延びるメカニズムの不思議さを感じる。
 
私の記憶がほとんど空白だった、ということは、そんな体験ばかりしてきたということ。
蘇る記憶があまりにもあり得ないことだと初めは笑ってしまう。
そんなことある?と。

でもやがて、本当にあったことだと実感が湧いてくると、今度は爆発的な怒りの波が延々と襲ってくる。
 
人間がやることじゃない。
頭がおかしい。
鬼畜。

人間性を貶めるありったけの言葉を見つけてきて、あてはめようとするけれど、親に対してそんなことを思うなんて恩知らずだとか、親だって人間だとか、なんでも親のせいにするなとか、また親を擁護する世間の声が聞こえてくるようで、その思考と頭の中で闘いながら怒りが増幅していく。
 
そんな怒りのループから抜けられない日々が続いた。
出口が見えない長いトンネルの中をひたすら走り続けているような感覚だった。
 
空白を埋めるパズルのピースを一つずつ集める。
その断片をヒントに、なぜ、そんなことをされたのか?と仮説を立てる。
新しいパズルのピースで、新しい可能性が見える。
その全体像が見え始めると、私がされていたことは、私が悪いからやられていたわけではなかった、と、少しずつ解放されていく。
 
何から解放されるか?
それは、罪悪感だった。
爆発的な怒りで、とことんまで親を追い詰めて自分たちがやっていたことを認めさせたいという揺るがない気持ちの一段下にあったのは、虐待のたびに入れられていた罪悪感だった。
 
彼らは私に苦痛を与えるとき、私の何かが悪いせいにした。
何が悪いかは具体的には教えてもらえず、ただ、私が悪いからやられていると思わせる術に長けていた。
私は苦痛から逃れたくて、自分の何がいけないか仮説を立てて、片っ端からそれを変えて検証してみるけれど、毎回その仮説は外れた。
自分の行動を隅々まで疑って原因の可能性を探しても、その原因はどこにも見つけられなかった。

そして行き着いた結論は、存在そのものがトリガーになっている、ということだった。
何を直しても、理由を尋ねても、その原因を教えてもらえることはなく、延々と虐待が続く。
どこにも逃げ場がなく、ただ虐待にひたすら耐えることしかできない苦しみの中で、なぜ自分は存在しているのか、なぜ生きなければいけないのかわからない、という風に生きる力が削られていった。
 
そして生きる力が枯渇したとき、私は起き上がれなくなったのだった。
自分の弱さでも甘えでもなかった。
そこに行きつくまでに、それだけのことが起きていたことが記憶から抜けていたから、私はずっと自分の精神的な弱さのせいだと自分を責めていた。
 
自分の身に起きたことが見えてくるにつれて、親に対する感情は乾いた怒りがあるだけで、それ以外は何も無いと思っていた。
人間として欠陥があったのは私ではなくて、彼らの方だった。
そう切り離せたと思っても、ぶり返すように、彼らに自分たちがどんなに酷いことをやり続けていたか直面させたいという爆発的な怒りは鎮まらなかった。
 
治療を受けながら、私の中にも複雑な感情があることが見えてくると、私は彼らに過ちを改めさせていい人間になって欲しい、と期待して怒っていることを認められるようになってきた。

そして、良い人間になって私の存在を認めて愛してほしいと思っていることも。
そんな柔らかい感情が私の中にあることを見つけると、それが幼少期の早い段階で捻りつぶされたときの痛みが襲ってきた。

私の柔らかい感情は完全に無視されるか、価値が無いものとして嘲笑とともに捻りつぶされていた。
その痛みを感じることに耐えられなくて、爆発的な乾いた怒りで自分を守っていたのかもしれない。

そして、どんなに自分が変わろうとも、決して大切に扱われることもなければ愛されることもなかった、ということを認められたとき、ようやく深い感情の層に到達できたように感じられた。

それは地下の水脈から湧いてくる澄んだ水のような深い悲しみだった。
その深い悲しみは、なぜかとても豊かだと感じられた。
これが本当の私が感じていた感情だった。
長いトンネルを抜けてようやく辿り着けたように感じた。
 


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