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ベビーシッターを利用するのは、「遊び目的では?」疑惑。

以前、ベビーシッターによる子どもへの虐待や殺人が世間を騒がせた。

非常時に、ベビーシッターは便利な存在かもしれない。やむを得ぬ事情で、仕方なく預ける人も多い。どこも預かってくれないので、無認可のベビーシッターを頼るのも理解できる。厳しい社会情勢で、働かなければ生きていけないこともよくわかる。

だが、世間から「見ず知らずの人に預けるなんて、信じられない」という意見が出てくることもわかる。

当事者のお母さんたちから文句が出るかもしれないが、敢えて言う。「本当に預けなくてはいけなかったのか?」。会社に無理を聞いてもらうことはできなかったのか。身内に見てもらうこともできなかったのか。安易な方法を選んでいない、と言い切れるのか。この事件により、「子どもを預けること」に対して、もっと慎重になってくれることを望む。

もうひとつ、あまりニュースには出てこないが気になることがある。

ベビーシッターに子どもを「泊まり」で預ける利用者がいる。突発的な事情ならわかるが、週に1回、月に数回という頻度で預けているのは、どういうことか。そんな人が結構いるようだが、そのすべてが仕事によるものだとは思えない。

99%の親が仕方なく預けているのだとは思うが、残り1%が疑惑の対象である。その上で、批判覚悟で言うが、“遊びに行くために預けている”のではと勘ぐってしまう。まだ遊びたい年頃の母親が、幼い子どもを家に放置したまま外出してしまう事件も多い。ベビーシッターに預けるだけマシなのかもしれないが、母親としての自覚がないのではないか。

遊びたいのなら、なぜ子どもを作るのか。「何とかなるんじゃないか?」では、子育てはできない。しっかり育てる覚悟がなければ、子育てはできないのである。

もちろんこれは、父親にも言えることである。

母親が子どもを見ることができない場合は、当然、父親が見なければならない。「面倒だから」ではダメなのである。ふたりで協力しあって、育てなければならない。それでも“どうにもならない時”には、預ければ良い。

今回のような事件が起きると、いつも矢面に立たされているのが母親だけのような気がして、違和感のようなものを感じてしまうのだ。

ベビーシッターともなれば、「子どもを預かる」だけではなく、こうした「子どもを預ける」ことに対する意識はなおさら重要だろう。遊ぶお金欲しさだけではできないのだ。それなのにベビーシッターになるためには、資格もいらず、許可も必要ない。人の命を預かるのに、誰でもができてしまうのは、非常に危険である。

子どもへの接し方、対処法を知り尽くしている人材でなければ、預けることはできない。そう考えると、無認可のベビーシッターなど、あり得ないのではないか。子育て経験のある人、もしくは専門教育を受けた人が認定を受けてやるべき仕事である。

困っている人には、救世主のような存在かもしれないが、不幸な事件をなくすためにも、許認可制を導入すべきである。しかも、早急の課題である。

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