金で“地位”が買える、「戒名」の不思議。
人が亡くなると、仏の弟子となり、新たな名前を授けられる。それが「戒名」。そう思われているのだが、本来は違う。
生前に仏門に入り、戒律を守り、仏道修行を行うと誓った出家者にだけ授けられる名前が「戒名」である。いつの頃からか、故人専用の名前として、つけられるようになった。
そして、「戒名」には、なぜか“位(くらい)”が存在する。
仏の世界では、生前の身分の上下や精進・報恩の多少に関係なく、すべての人が平等である、と説いている。なのに、“位”が存在するのはなぜか。
仏教界曰く、「生前、菩提寺との関係が深く、大きく貢献した者には高い位がつけられる」。
つまり、信仰心が強く、仏を敬い、尽くしてきた者は、亡くなってから高い地位につくことができる、ということか。それなら、納得もできる。
だが、それは大昔の話。いまは、「お布施」という名の戒名料があり、しかも相場が決まっている。
それだけではなく、つける“位”によって価格は上がる。
【信士(しんし)・信女(しんにょ)】:30〜50万円。
【居士(こじ)・大姉(だいし)/院信士(いんしんし)・院信女(いんしんにょ)】:50〜80万円。
【院居士(いんこじ)・院大姉(いんだいし)】:100万円〜。
“位”は僧侶が選ぶのではなく、生前の本人や親族によって選ばれ、高い金を出せば、高い“位”が買えるのである。
例え悪どい商売で儲けた金であっても、仏教界は高い“位”を用意してくれる。まさに、「地獄の沙汰も金次第」。こんなことは、許されるべきではない。
仏の世界の平等は、“戒名ビジネス”によって、いとも簡単に崩壊したのである。
そんな不透明な世界に疑問を持つ僧侶も現れ始めている。お布施があまりにも高額なことに異を唱え、安く授ける“サービス”を始めた僧侶もいる。曖昧な金額のお布施を定額制にした葬儀社もある。
多くの関係者が、新しい道を切り拓こうとしている。
それでもまだ、戒名には“位”が残っている。この根本を改めなければ、仏教そのものが廃れてしまうのではないか。
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