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誰のために結婚式をするのか?

ごく一般的な結婚式場で、数百万円を掛けて結婚式を挙げた方に聞きたい。その式は、誰のためにしたのか?

ふたりで共に歩むための儀式として、そして想い出のために式をしたかった、と言う方には、素直に拍手を送ろう。だが、親を喜ばせるため、親戚とのつきあいのため、会社絡みで仕方なく、友人たちへの見栄のため、などという理由であったのなら、それは無駄金だったのではないか。

数百万円の価値が本当にあったのか。酔っぱらった親戚にお酌をして、楽しかっただろうか。てんとう虫のサンバを唄った友人とは、いまもつき合いはあるか。披露宴の料理が美味しかった、と言ってくれた参列者はいたか。貰った引き出物はいまも使っているよ、と言ってくれる人はいるか。思い返すほどに、疑問だらけになるのではないか。

本当に良かった、本当に楽しかった。本当にそう思っているのか。結婚式とはそういうものだと、自分に納得させているだけでは?

日本には、歴史のない伝統が多い。商売人が儲けるために創り出した、新しい伝統が。なぜか日本人は、生真面目なのか、それを守ろうとする。

これはまったく私の主観だが、結婚式で特に無駄なのは、披露宴だと思っている。式そのものは、神前・仏前・教会のどれであれ、厳かなもので、感動もすれば想い出にも残る。だが披露宴は、疑問だらけの単なるイベントである。ただの飲み会ではないのか。そんなところに数百万円も払うことに、なぜ平気でいられるのか。

平気じゃない人やお金のない人は、「ナシ婚」「割安婚」を選ぶだろう。挙式ナシ、披露宴ナシの「ナシ婚」。ホテル・式場の空き時間などを使った安いプランの「割安婚」。

自分たちの希望や身の丈に合った結婚式のカタチを選択している。それで良いのではないか。結婚とは、これから続く数十年の物語が大切なのであって、最初の形式など、どうでも良いことである。

どれだけ「ハデ婚」をしたって、離婚する人は多い。いまの日本の離婚率は30%だというデータもあるくらいだ。結婚式をしなくても、生涯を連れ添うふたりもたくさんいる。式にこだわる必要など、まったくない。

私たち夫婦の場合で言えば、一流と言われるホテルのチャペルで式を挙げたのだが、仏滅の日を選び、披露宴もしなかったので、非常に安く済ませることができた。自分たちだけで費用を賄うつもりだったので、このようなカタチを選んだのである。浮いたお金は、少し贅沢な新婚旅行にまわした。印象深い、素晴らしい想い出となっている。

披露宴など絶対にいらない、などと言うつもりはない。ふたりが楽しいと感じ、やった方が良いと思うのなら、それは必要なことである。私が言いたいのは、まわりの人や見栄のためにやる必要はないということ。

そんなことのために使うには、金額が大き過ぎる。「親が出すから、構わない」と思っている人もいるかもしれないが、これから結婚しようとする人間が、ガキのような発想ではいけない。お金はもっと有益な使い方をすべきである。親が出すと言っても、「その分で旅行にでも行ってきて」と言うぐらいの大人であって欲しい。

結婚生活を幸せに送るためにも、最初からふたりで考え、ふたりが本当に納得するカタチでやった方が良い。大切なのはふたりであって、親や親戚ではない。

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