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3-1 スポーツクラブを使って社会課題を解決するのが論理的に正しい理由 『社会学編』【地域×スポーツ大全】

スポーツでCSVするにあたって四つの側面から見ていく。
 
社会性 教育性 行政性 地域性

まずは社会性から。

CSV  ・Creating Shared Value 
共通価値の創造/本業での社会貢献を意味する。

CSR  ・Corporate Social Responsibility  
企業の社会的責任。 企業が組織活動を行うにあたって担う社会的責任のことで、社会的責任とは、従業員や消費者、投資者、環境などへの配慮から社会貢献まで、幅広い内容に対し適切な意思決定を行うことを指します。


利益の余剰金とか人的リソースつかって社会のためのボランティア的なことやるんじゃなくて、そもそも社会のためになるものつくって稼ごうぜって話。


「スポーツなんて一生やんねえ」

かつてドリームジョブとも言われたスポーツ業界だが、一歩外に出てみるとこのような声は意外とよく聞くものだ。

なぜなら「牛乳残しちゃダメ!」みたいなステレオタイプで一方的な学校教育により、運動が苦手だった人にも強制的な体育という運動を強いていたからである。

スポーツ庁は今 見る人、やる人、支える人 のパイを増やしスポーツを通して健康と地域と社会をよくしようとしている。

そのためにまずは、社会デザインを考える上でヨーロッパのスポーツ観を見ていこう。

社会学としてのスポーツ

ここでも述べたが、ヨーロッパではスポーツは社会学の側面が強い。

「君の故郷はどんな特徴があるんだい?おれの故郷のサッカークラブは、、、うちのクリケットは、、、」
なんて話をロンドン滞在中に何回きいたことだろう。

自分の故郷というアイデンティティに誇りを持つ人ばっかりだった。

自分の地元の誇りとは、、、内省したけどなかなか見つからなかったなー。

社会学とは、巨視的、マクロ的に社会を見る学問。社会、つまり組織と組織、人間と人間が関わるあらゆる問題を横断して考える学問だ。

社会的な面が色濃いヨーロッパスポーツ。スタジアムが社交の場として使われており、週末には地域のサッカークラブの勝敗についてバルで酒を飲みながら討論する光景が日常的に目につく。

福祉と文化が醸成され、人間みんなが等しく楽しく生きる権利を持つという概念をもと、社会みんなでスポーツを楽しんでいるのだ。

ウイルス蔓延時に、沢山の国の首相のスピーチが物議を醸した。その中でドイツのメルケル首相のスピーチを紹介したい。

意味ある生とは。尊厳ある生とは。人と人とが心の通った交流できない生に意味はあるのか。
みんなの気持ちはわかる。わかるが頼むから今年だけは家にいてくれないか。お願いだ。と。

どれだけ国民の尊厳を大切に慮りながら話したスピーチだったであろうか。
政治とは49%の意見をどう汲み取るかに本質が出る。https://japan.diplo.de/ja-ja/themen/politik/-/2331262

文化的で最低限度、みんなが人生を楽しめるために

国民の文化的で最低限度の生活を担保するために社会でスポーツを支援している。

みんなが楽しむため、つまりエンターテイメントのインフラなのである。

ドイツのある地方では、毎週末の試合に3万人集まるらしい。なんと人口は10万人!3/10!

シュタイナー教育やモンテッソーリ教育を通して強制的な体育を強いられる事もなかった子どもたちは、とにかくイキイキしている。

ロンドンの公園や美術館でとにかく笑顔で遊びまわっていた彼ら彼女らを見て不意に軽く泣いた。コンプラ社会による禁止事項ばかりの日本の質素な公園を思い出して、1人絶望したんだぜ

インフラ整備というものは簡単に民間が始められるものではない。人間みんなが楽しむため、社会という単位でお金を拠出し、みんなで支えあう。 

「ソシオ」 というスポーツクラブを運営するための会員システムがあり、地域みんなが少しずつクラブの会員になってクラブ経営に参加する。
選挙のよう。

そもそものソシオの語源が「社会の」 「社会学の」「仲間の」という意味を表す。 ラテン語 'socius' (仲間) に由来する

ソーシャルでスポーツを楽しむ。
みんなで支えあう。

日本でも少しずつこの運動が行われてきている。
小豆島のチームのモデルはまさにそうで、もっとアピールしていきたい。
コミュニティの理念に則しながらもっと権利を主張し、オーナーとして意見を出し合っていきたい。

幸せとは、同じ志のもと、頼り頼られ生きていくこと。


マルシェや出店、スキルシェアを通じて、みんなで地域一帯となって楽しくお祭り騒ぎをしてきたいものだ。


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