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1-1 アイデンティティとは記憶 【地域×スポーツ大全】

バスケを通じて学んだことシリーーーーズ!

費用対効果で見た地域文化のマツリゴト

僕が所属していた地域クラブチームでは、よく若者チームとシニアチームが連携しながら、商工会とお祭りを催していた。

ただ当時は仕事と経済活動で数字を出すことが是と思っていた生え抜き東京都民の僕は、「地元の祭りのお手伝いなんてやってどうなんのさ、、、しかも無償などマッコトクダラナイ」と、どこかで思いながら適当に参加可否報告をしていたことを覚えている。

ちなみにそこのチーム自体は過去に、都民大会で優勝したり、今で言うプロ選手などが夜な夜なしのぎを削っていたチームだ。

今は運営も変わり一般のわいわいとしたクラブチームと化しているが、僕が東京に帰ってからも引き続き関わっていきたい理由がある。

それはスポーツ界全体を盛り上げ、そしてスポーツを見る人やる人関わる人が少しでも楽しい生活を送ってほしい。そのためには一つ一つの地域クラブチームの活性化が非常に重要だからである。

そしてこのチームは歴史があり、商店街の人が集まるシニアチームが存在しているのだ。
沢山の大人にお世話になった。チームが存続した影の功労を称え、後世に伝えたく筆を執り始めた次第だ。

単発の費用対効果で見たら大きなプラスはない。ただ果てなく伸びる時間軸を通貫する文化というのは時間x分だけ永遠に未来に続く。
スポーツと祭りに主体的に参加して、非認知能力を高く備えた子どもを何世代分未来に送れるだろうか、巨大なROI(Return on Investment)である。

これからの時代の幸福はコミュニティへの貢献

「平日に仕事終わってからバスケがしたかったらその日の9~16時までの間に学校に鍵を取りに来てね」

ってサラリーマンどーーーーすんだバーーーーカ!!!

そんな現代のサラリーマンマジョリティな社会に不利な条件をクリアしてくれていたのが、やはりもう第一線からは退いた大人たちだ。 
もう今は現役でプレーしないようなシニアの人たちが若者がバスケをするために練習場所を取ってくれていた。

※体育館の確保って結構だるいんすよ

自分の1/4休を会社に申請してわざわざ取ってくれた人もいた。
そして練習終わり鍵を取ってくれた地元の居酒屋さんにいっては大盛りのご飯や草履のようなコロッケがでてくる。

感謝しかない。食べきれないけど。

日本の社会保障費の増大が問題だ
社会保障費を減らし、人々を健康にするのは何だろう?

医療、テクノロジーの進歩?
年金受給年齢の引き上げ?
少子高齢化対策?
違う、最も本質的なソリューションは

孤独の解消 だ。

感情優位の人間にとって技術がどこまで発達しようが、相互承認とキズナが人間を人間足らしめる。

孤独がストレスを生み、ストレスが病気を生む。
孤独が不安を生み、不安が犯罪を生む。

古来、日本はどうやって地域と生活してきたのか。
神社に集まり、祭りを催して人と繋がってきたのだ。

いつの時代もプラットフォーマーが一番得をする。
0→1のカオスエネルギー総量は壮絶なものだけど、その代わりに得られる人望や未来価値は計り知れない。

その未来あるプラットフォームに貢献をして、各々が高く価値のあるビルを建てていくのがこれからの時代だ。
柱に己の名を刻み、功績を残していく。貢献をして感謝をされる。その満足感こそが人生を充足させていくのだ。

大人の人たちに建てて貰ったステージで心置きなく楽しくバスケットをすることが出来た。

わたあめ作るのがうまくなっちまったぜ。

そして夏のお祭りでは、プロバスケ選手やプロレス団体を招聘興行して、出店に立ちながら町を盛り上げてきた。

・朝バスケ・お昼お祭りのお手伝い・夜に打ち上げ
そして売り上げの一部を使ってドンチャン騒ぎながら焼き肉をかっ食らう。
酒飲んで粋で素直じゃない商店街のボスたちがよくケンカしてたなあ

若かった当時は運営の苦労も地元を盛り上げる意味も全く感じることができず、仕事の隙間に顔出せれば、くらいにいつも思っていた。
当時、何度も誘ってくれていたアニキたちには、直ちに地面に頭をめり込ませながら謝りたいと思う所存だ。

常に経済性と己の時給単価計算をし動いていた僕は、地元のガヤガヤなんて無縁だと。暇な人がやればいいとさえ思っていた。

今ではその重要性をとても強く感じている。
日本をよくしたいのなら地域からよくしないことには始まらない。

都市化が進み、ITとローカルの二極化が進めば、ますますエコーチャンバーな世界になり、ますます日本の心は空洞化する。

ますます隣に住んでいる人間を助けることのない世界になり、マスクをした潔癖な子どもが育ち、フィルターバブルな視界でこの世をわかった気になる大バカ者で溢れかえるのだ。

世界はもっと複雑でヤヤコシイ

一度はスポーツや地域の祭りに巻き込まれて、ヤヤコシイ人たちにもまれたほうが免疫がついて強くなれる。

私立な子も、泥んこな子も、ミックスした雑味まじりのタクマシイ人間が育っていくコミュニティにしたいと願うばかりである。
場があれば、緑があれば自然が教育してくれるのだ。

幸い地元でそんな第六次産業化を目論むビジネスをしようとお話してくれる方もいて、大変心強い。 



アイデンティティとは記憶、体験だ。

かくいう僕も風来坊O型、ずっと土着することは無いと思う。だがやはり郷里。こういった発信を通して

ブレードランナー化したディストピアよろしく最適化したチェーン店に侵され、薬品くさい老人優遇な町にならないことを切に願い、スポーツを通して食育、健康、お祭りによって地域の幸せを作っていけたら幸甚の極みに思う。
 
地域ごとのお祭りを過小評価したら日本の文化は終わる。
お寺に参ろう。
 
華咲けスポーツコミュニティ!


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