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【小説】 日記を書いたから、一日が始まった。


 十二月二十八日。
 今日はマネージャーの阿南さんに呼ばれて、新しく製作されたミニアルバムのジャケットデザインの打ち合わせに参加させてもらった。デザイナーからもらったラフデザインを見て、作品の方向性の最終チェックをする。
 はじめて出したアルバムとは違い、今回からはアルバムを一つの作品として考えるようにした。「出会いと別れ」をテーマに掲げ、高校生活最後の想いを音楽に落とし込む。曲はもちろんだが、ジャケットデザインもテーマにそったものにしたい。

 ヒロナは気持ちの赴くままに、日記を書いていた。
 頭の中を整理しながら言葉を紡ぐ作業が心地いいストレス発散になっている。
 冬は夜明けの空気を朝に感じられて良い。
 だから、ヒロナは、あえて早起きをした。
 朝の陽光を感じながら文章を綴ると、心が軽くなるから。
 掛け時計の秒針が、チクタクと音を立てている。
 ゆっくりと時が進むのを感じながら、ヒロナは前日の出来事に思いを巡らせた。
 
 今年中に終わらせなければいけない仕事を一気に消費しようとしているのか、十二月はバタバタだった。師までもが走るとは言い得て妙だと思う。
 同級生たちは受験勉強に励んでいるが、私は音楽を作っている。
 大学に行かないことを決めたのは自分。
 音楽をやりたいと決めたのも自分だ。
 全て自分で決めたことなのに、劣等感を感じてしまう自分がいた。

 私は私で、年末まで大人と仕事をしているんだ・・・。

 最近は、こんなことばっかり考えてしまう。
 たぶん、親友のミウが勉強を続けながらレコーディングをこなしたことが、事実として私の胸に大きなショックを与えたのだと思う。

 ヒロナはペンを休め、目の前の窓から見える景色をぼんやり眺めた。
 書きながら整理されていく思考と、なんとなく向き合う。
 学校に行くと、どうしても周りと比べてしまう自分がいる。
 それはそうかもしれない。
 同じ制服を着て、同じ教科書で勉強をするんだから。
 差が気になるのは当然だ。
 だからこそ、人と違うことをすれば逆に目立つ。
 バンドを始めた時は、まさにその波を受けたっけ。
 何かを思いついたわけはないのに、気付けばヒロナはペンを握っていた。

 最近の私は、受験勉強をしない本当の理由を探しているのかもしれない。
 「覚悟を決めた」といっても、それは所詮、精神論的にすぎないから。
 バンドに出会い、曲を作ること、バンドの方向性を考えること、ライブの演出をすることに魅せられた。そして、続けていくうちに、自分の頭は生み出すことよりも、プロデュースをすることに長けているのかもしれないと気付いた。そんな時にスカウトをされて、たまたまバンドが注目を浴びることになった。
 たったこれだけ。
 私がバンドの道に進もうと決めた理由は、数行にまとめられてしまうのだ。
 同じく大学勉強をしないヴォーカルのアキちゃんは、日夜曲作りに没頭できてしまう狂人めいた才能を持っている。
 そして、天性の歌声の持ち主だ。
 私とは持っているものが違う。
 
 今、自分が何について悩んでいるのかを書き出すだけでも、心の澱が柔らかくなっていく。
 ヒロナは、ぬるくなったココアをのみ、「はあ」と一息ついた。
 十二月二十八日の日記には、まるでふさわしくないことを書いている。
 ヒロナは思わず笑みがこぼれてしまった。
 昨日は打ち合わせに行っただけだ。
 帰ってきてからも、ボケッと漫画を読み、ドラムをぽすぽす叩いただけ。
 高校受験を控える弟からは「楽しそうで羨ましい」と呟かれた。
 対外的に見せている自分と、ノートの中にいる自分は別人のよう。
 本当のことを書いてるだけなのに、どこかで人を騙しているような感覚にもなる。人は誰しも表と裏の顔がある。いや、それ以上に顔を持っている。
 家族に見せる顔、親友に見せる顔、先生に見せる顔、好きな人に見せる顔。
 あらゆる場面において、自然と自分を使い分けている。
 ノートの中の私も、私。
 ヒロナは何度も休憩を挟みながら、日記を黒くしていった。
 
 そういえば、ジャケットデザインの打ち合わせの帰り道、母に「やりたいことを一つに絞る必要はない」的なことを言われたことを思い出した。「夢は一生懸命続けた者にしか見つけることができない」とも。
 確かに私はやりたいことは何でもやってきた人生だった。
 とりあえずやってみることで、たくさん失敗を重ねた。
 そして、バンドにも出会えた。
 これだけは、誰かに自慢できるのかもしれない。
 運命とか、偶然とか。
 そんなロマンチックな言葉は連想できない。
 それくらい、とにかく挑戦してきたのだ。
 だからこそ、今、環境に恵まれている。
 うん。間違いない。

 コンッとピリオドを打ち、ヒロナは伸びをした。
 大きく口を開けると、顎の付け根がパキポキと音を鳴らした。
 自信とは少し違う、自負心がヒロナには芽生えていた。
 すっかり朝は始まってしまっている。
 ちょっとした達成感を感じたのも束の間、ヒロナは「よし」と小さく呟いた。
 十二月二十九日が始まった。

1時間44分 2000字

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