【小説】 接着剤
目が覚めると、天使のように朗らかに笑っているマキコの姿が飛び込んできた。見るもの全てを癒すような柔らかい笑顔。マキコがこんな顔をしたことがあっただろうか。完璧主義な彼女とは打って変わり、あまりにもスキだらけの表情に、ミウは思わず見惚れてしまっていた。
寝起きのボンヤリした頭の中が少しずつ現実世界にピントを合わせていくのが分かった。夢から覚める感じ。意識とも無意識とも関係ない。きっと、赤ちゃんがお母さんのお腹から出てくる時って、こんな感じなんだと思う。
世界の輪郭がクッキリするのと同時に周りを見渡してみたが、前の席ではアキがニコニコと笑顔を返しているだけ。その前に座るヒロナは、机に突っ伏して小さな寝息を立てている。教室には誰もいない。外から聞こえてくるのは太鼓やラッパ、笛の音。現実を一つ一つ把握していくほど、頭は混乱していった。
今日は、文化祭だったような・・・。
「え、寝坊した?」
咄嗟に口から飛び出した。身体も跳び上がっていた。走馬灯のように全ての出来事が頭の中でリフレインされていく。
今日は高校生活最後の文化祭。朝のバンドリハーサルを終え、私たちは教室で仮眠をとっていた。確か出番はお昼過ぎ。
「あはは! おはようございます! 大丈夫、まだまだ出番じゃないですから!」
マキコがこちらをみて笑った。アキも一緒になってクスクス笑っている。ミウは恥ずかしさよりも先に違和感を覚えた。何かがいつもと違う。「何かあった?」と言おうとしたが、それよりも先に笑い声に誘われてヒロナが目を覚ました。
「ふあー! おはよー! んんー! よく寝たー! ああ、首痛ーい!」
頬についたヨダレを拭いながら元気よく目を覚ます彼女は、まるで小学生だ。しかし、ヒロナは一瞬で現実の出来事を理解した。
「あれ? 二人仲直りしたの?」
ヒロナの真っ直ぐすぎる言葉に、ようやく頭のてっぺんからつま先まで現実に戻ってきた気がした。
そうだ。アキとマキコの間には深い溝があった。いや、マキコから一方的にアキを避けていたはず。それなのに、二人揃って柔和な表情をしている。それが不思議な違和感を感じさせていたのだ。
「ん? なんのこと?」
アキはケロッとした顔ですぐに聞き返してきた。言葉に詰まらず、ごく自然に。その即答がマキコの心をどれほど救っただろうか。
アキの答えを聞いた後に、ヒロナの直球すぎる質問がいかに残酷だったかが分かった。ともすれば「仲悪かったよね?」とも聞こえてしまうのに。
「ねえ、それより、文化祭始まってるんけど!」
すかさず話題を変えた。これをチームワークと呼ぶのだろう。誰かが球を投げれば受け止める。誰も投げなかったら、すぐに球を投げる。常に球を動かすことができるかが大切になってくる。
とはいえ、ミウがすぐに話題を変えられたのには、もう一つの大きな理由があった。
「中草くんと待ち合わせしてたのに!」
最後の文化祭を彼氏と楽しむ約束をしていた。私たちが付き合うキッカケになった文化祭を。高校一年の時に、クラス企画リーダーに任命されなければ私たちが関わることは絶対になかった。思い出の文化祭なのに、ミウは教室でうたた寝をするという凡ミスを犯してしまった。
「あ、そうだ! 昨日言ったよね?」
「確か、ミウさんって、文化祭がキッカケで付き合ったんじゃなかったでしたっけ?」
「お、お、お、思い出の文化祭なのに、遅刻なんて・・・」
ミウは三人をキッと睨んで、慌てて教室を飛び出していった。途中、机に太ももを打ち付けて、声にならない声を出していた。
「ねえ、ミウの顔、すごい寝跡ついてなかった?」
「ついてました」
「い、い、行っちゃったね・・・」
誰かがプッと吹き出したことが着火剤になり、教室は大きな笑いで包まれた。
夢と現実の間を「笑顔」が繋いだ。
1500字 1時間19分
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