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【小説】 朝の届け物


 よく眠れなかった。何度も同じ夢を見て、何度も起きてしまった。「このバンドであり続けられないと思ったら、私は死にます」というアキちゃんの言葉が、頭の中をぐるぐると、こだましてる。うるさかった。スイッチを切るみたいに、自分を鈍くできたらよかったのに。

 夢の中で私は、森口リオンと手を繋いでいた。冷たい手が、私の手の中にあった。女の子みたいに細くて白い指が、ピアノの鍵盤を叩く時みたいに私の指に絡まっていく。ショパンの「英雄ポロネーズ」がどこかで流れている。表情豊かな情熱的で美しい旋律。なんてロマンチックなんだろう。幸福感が身体を満たし、宙に浮いているみたいに、ふわふわと心が躍る。ドラマみたい。
 そう思った次の瞬間、繋いだ手の相手がアキちゃんに変わっていた。再び手に視線を落とすが、握った手は変わらず華奢だった。アキちゃんには表情がなく、でも、無表情なわけでもない。それなのに、悲しそうに見えた。

 なに。
 なんなの。
 言葉で言ってよ。

 私は手を振り払うこともできず、ただ、口の中で言葉をつぶやくだけだった。アキちゃんは、リオンくんが取られることが嫌だったの? だから、そんな顔をするの? でも、大丈夫だよ。私はフラれたから。リオンくんは、アキちゃんのことが好きなんだから。これは、全部、夢なんだから……。
 自分で夢を自覚した途端、目が覚める。この繰り返し。
 罪を犯したような気分。え、なんの罪。分からない。
 明け方にやっと眠りにつくことができた。

 ミルクココアを作る、朝のルーティン。カラカラカランとスプーンが歌い、ホットミルクにココアパウダーが溶けていく。甘ったるい匂いが部屋に充満した。そこに、さらにハチミツを入れる。金色の蜜をトロトロと円を描くように垂らしていく。濃いめのコーヒーが飲みたいという母と同じで、歯に染みそうなほど甘いココアが飲みたくなる時もある。
 ズズズ、と一杯。唾液腺がキュッとなる。頭にキンとくる甘さだった。糸がほどけていくみたいに、身体がリラックスしていくのが分かった。視界が徐々にぼんやり歪み、うつらうつらと、身体の内側が温まってくる。ああ、今なら静かに眠れそうだ。そう思いながらも、パソコンの電源を入れ、メールをチェックすると、そこには“森口リオン”の文字が浮かんでいた。

 差出人:森口リオン
 件名:ピアノコンクール出場

 なんで私に送ってくるの?
 私はあなたに気持ちを伝えたはず。そして、あなたは私をフった。
 それなのに、なんで。
 あなたの気持ちを知ってしまったから、私はライブで崩れてしまった。みんなに迷惑をかけてしまった。アキちゃんとの間に奇妙な距離が生まれてしまった。もう、イヤだよ。あんなことはしたくない。しないと誓った。
 夢の中だけで、十分だと思っていたのに……。

 私は、無意識のうちに、そのメールを開いていた。


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