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【小説】 みんな、ほんのり笑ってる。


 音楽祭。一年の最後を飾る大イベント。たかが合唱コンクールだと臨む生徒は、会場の大きさに開いた口が塞がらなくなるだろう。市の音楽ホールとはいえ、プロのコンサートが行われるような整った設備があり、高校生にとっては贅沢すぎる環境だ。2000を超える客席に配置される、深い紅に染まった座席が、空間をより引き締め、心地よい非日常感が流れている。

 2月末だというのに、春の兆しを感じることはなく、空気はかき氷。でも、カーディガンの色やカタチでお洒落をしたい女子高生には、この時期に寒いなんて言ってられない。いたるところにカイロを忍ばせ、気丈に振る舞う姿が勇ましい。女の子ってそういうこと。

 これだけ大きなステージで光を浴びる機会なんて、そうそう訪れることはない。しかも、文化祭とは違い、客席に座る数千の目玉からは、いっぺんに視線を向けられるのだ。めかしこまない方が逆に目立つ。

 曲に合わせてハロウィンみたいに仮装するクラスもあって、“可愛い”とか“カッコいい”が正義になれるちょっぴり大人な時間。この日ばかりは、先生も身だしなみには目を瞑るから、裏の楽屋は女子でごった返した。みんな、ほんのり笑ってる。

「アキ、こういう時は気取らないと!」
 ピアスホールのないアキの耳に、ミウがクリップタイプのイヤリングをつけた。「いたたっ」と目に涙を浮かべるアキに構わず、マキコはガシガシと髪に櫛を入れる。四方八方からドライヤーがブオオオと轟音を響かせているのに、それに負けないマキコの声。
「そうですよ、こんなに素材がいいのに、アキさんって本当に女っ気ないんだから!」
 手をぎゅっと握り、爪の先が白くなるほど痛みを我慢してるのがわかるのに、アキはお姫様になったみたいに楽しそうな顔をした。
「ヒロナ、次、あんただからね」
 黙って見ていたのは、緊張に疲れたからではない。もっともっと前の段階。
 ヒロナは今を味わっていた。
 これが最後の音楽祭。これが最後の高校生活。
 これが高校最後のライブステージ。
 思った以上に自分は貪欲で、次から次に不安が訪れるけど、今が一番楽しいことには間違いない。
 ヒロナは、幼少時代の日曜日を思い出した。どこにでもある広い空が白く眩しく暖かい。父に押されてブランコを揺らせる。疲れて、いつの間にかほのぼの眠くなってくる。幸せな感じ。なのに、ちょっと寂しい。
「いいよ、私は。いつも通りで!」
 拒否するヒロナに向かって、ミウとマキコはニンマリ笑った。
 

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