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【小説】 かえりみち



 ライブ終わりの帰り道は、いつも夢見心地の気分。天から自分を見下ろしているような感覚になる。フワフワとした足取りで、ボンヤリ街や人を眺めていると、映画を見てるみたいな非日常を味わうことができる。それが、好き。

 雨の帰路。歩くたびにピチャピチャ音が鳴る。
 電車に乗ると、むわんと人の匂い。会社帰りの男と女の香り。汗、口臭、香水、欲の匂いがした。窓は曇り、外は真っ暗。電車の中だけに明かりがついている。みんな、携帯電話をじっと見つめ、耳にはイヤホン。世界から他人を排除してるみたい。

 かく言う私の耳からも白いケーブルが垂れ、ジャズピアノのリラックスしたメロディが流れてきている。誰が演奏しているのか、なんて名前の曲なのかは分からないが、iPodの画面には、黒メガネにカイゼルひげのおじさんの顔が表示されている。ヴィンス・ガラルディさんのジャズピアノ。英語のタイトルはやっぱり読めない。シンコペーションが多く、隙間の多い演奏。それが妙にリズミカルで、つい頭を揺らしてしまう。そして、世界から他人が消えたような錯覚を起こす。

 まだ、夢の中にいたい。
 たぶん、そんな気持ちなんだと思う。ライブという非日常をずっと味わっていたいんだと思う。遠足の帰り道みたいな、そんな感じ。
 だって、毎日って、あまりにも穏やかすぎてつまらないでしょ?
 やることといえば、家にこもって音楽を作るだけ。疲れたらドラムを叩いて、音楽を聴く。この繰り返し。気分転換にアキちゃんの家に行って、経過報告。それでも結局、楽曲制作の日々。一日中、作ってる気がする。
 音楽に触れてる時間は楽しいけど、流石に毎日続くと飽きてしまう。好きなことを仕事にするって、結構大変なんだよね。いつ、嫌いになるか分からない不安だってある。
 だから、ライブ帰りはのっそり帰る。
 夢から現実への帰り道だから。
 なるべく時間をかけて、引き伸ばす。
 
 流れてくるジャズが、世界に物語をつけてくれる。
 携帯電話をニヤニヤしながら見つめる人、イヤホンをしながら目を閉じてる人、本を読む人、ぺちゃくちゃ会話をしてる人たち。みんな、夢の中にいる。
 帰る時間を引き伸ばすために、必死になっている。
 私も同じ。帰たくない。
 ずっと、夢の中にいさせてよ。
 
 

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