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【小説】 少しだけ、俯瞰する。


「みんな、来てくれてありがとう!」
 アキちゃんは、朗らかな顔をしていた。

「緊張してる?」
 意地悪調子でミウが聞く。

「あんまり」
 ケロッと答えるアキちゃん。

「ははっ! そんな感じするわ!」
 ミウはカラッと笑った。

「楽しみだよー!」
 と私。なぜか自分が緊張してる。

「なんか、アタシまで緊張してきた」
 マキコちゃんが、私の心の声を代弁してくれた。

「リ、リオンくんもありがとう」
 頬を緩めるアキちゃん。やっぱり、緊張はしてなさそう。

「応援してる」
 リオンくんは、サッと右手を出し握手をした。
 あ、と私だけが小さく呟いた。口の中が酸っぱくなった。手が冷たい二人の握手の中に何かが生まれた気がして、思わず目を逸らしてしまう。

「みんなの顔見たら、少し緊張してきたかも」
 アキちゃんは、右手に残った感触を確かめるように握り拳を作っていた。言葉は明瞭だし、自身も垣間見える。口角がキュッと上がり、目に力が宿っている。たぶん、アキちゃんは緊張していない。

「あーあ、これはヒロナとマキコのせいだよ。あんたたちが緊張するから!」
 ミウは冷やかすように、私たちの肩を小突くと笑顔が広まった。私たちは「ごめんごめん」「大丈夫大丈夫」とアキちゃんの身体を必死で撫でた。アキちゃんの身体は、細くて小さくて冷たい。でも、まるで体温が伝わっていかないようなバリアを感じた。殻でも壁でもない。強いバリアがあった。

 アキちゃんが個室の楽屋に戻ると、私たちは開演までの間、ポカンと時間ができてしまった。リオンくんは「先に会場行ってるね」と手にチケットを握りしめて楽屋口を出て行った。5人目のメンバーみたいに、すっかり空気に馴染んでる。「のちほど!」と軽く手を振り、見送る私。でも、まだ私たちのことは誰も知らないのだ。背徳感に襲われ、うまく笑顔が作れなかった。

 バンドメンバーは迂闊に客席にはいけない。ギリギリまで待機しなければならないため、私たちは大部屋の楽屋でのんびり過ごした。ミウは読書、マキコちゃんは携帯電話をいじってる。私はモニターに映る客席の様子をボンヤリ眺めていた。
 会場は満員。アキちゃんは、想像以上に女性ファンが多かった。カップルの姿も多く、年齢層は圧倒的に若かった。なるほどね。若者の心を掴んでいるのは、アキちゃんだったんだ。反対に中年層を取り込んでいるのがマキコちゃんで、「HIRON A’S」は二人の双翼のバランスが絶妙なのだ。確かに、こんな奇跡的なバンドを大人が放って置くワケがない。自分が演奏しないせいか、妙に冷静に分析ができる。

「おお! 久しぶり! みんな元気にしてた?」
 大人がやってきた。

「朝倉さーん! そっか、ソロライブのイベンターも、『ワーム』なんですね!」
 反射的に携帯電話をほっぽり出して、パッと笑顔で対応したのはマキコちゃんだった。これは天性の才能だ。スタイル抜群、容姿端麗の彼女が笑顔を振り撒くだけで、男性のテンションが上がるのをこれまで何度も見てきた。

「もちろん! 基本的に『HIRON A‘S』周りはウチだから! アキのソロもうちですよ!」
 朝倉さんの声が徐々に猫撫で声になっていく。敬語なんか使っちゃってさ。でも、すごくすごく素直な人だ。分かり易すぎる欲望は、逆に好感が持てる。

「それにしても、君たちはすごいねぇ。アキは初めてのソロコンなのに、こんだけ人が来るんだから。それだけバンドが注目されてるってことだよ。阿南から話を持ちかけられた時は、どうなることかと心配してたけど、ちゃんといったね!」
 軽い調子でツラツラと語る朝倉さんは、若いけどザッツ業界の偉い人って感じ。その分、阿南さんとは違う勢いがあった。

「朝倉さんのおかげですよぉ!」
 平気でこういうことが言えるのがマキコちゃんの恐ろしいところ。彼女が“プロ”と呼ばれる所以だ。ミウに目配せすると、案の定、「ここはプロに任せよう」という顔をしていた。

「マキコはそういうところが、さすがだよなぁ」
 上機嫌な朝倉さんも、分かっていながら喜んでくれる。まるで技を掛け合っているプロレスを見ているようだった。私もミウも、付け入る隙間がない。大きな笑い声が楽屋に響いた。

「朝倉さん、アキさんのリハ見ました?」
 マキコちゃんのその言葉に、朝倉さんは笑顔を消した。眉間にシワがより、神妙な面持ちで、伝説でも語るような空気を漂わせた。

「すごいよ、アキは凄い。ちょっと驚いたね」
 大きな確信を抱いたような表情に、私たちの中に妙な緊張が走った。
 誰も「どこが?」とは聞けなかった。

「でも、まあ、気楽に楽しんで、いっぱいダメ出ししてやりなよ!」
 切り替えるような軽快な口調でそう言い残し、朝倉さんは去っていき、同時に開演5分前のベルがなった。

「なんか、ここに来て緊張してきたわ」
 ミウはパタンと本を閉じて、眉毛をクイっと持ち上げた。

「楽しみですね」
 マキコちゃんは明らかに、さっきより緊張が増している。

「どんなライブになるんだろう」
 楽しみだ。でも、不安もある。緊張もある。
 この気持ちはなんだろう。この気持ちはなんだろう。
 私たち3人は、地に足がつかない心持ちで、客席へと続く扉を開ける。
 後方から「おー!」という円陣の掛け声が聞こえてきた。

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