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【小説】 図書室の前で

【ミウ】

 1年A組に走った。
 まだボワンボワンと鐘の余韻が響いている。もちろん教室に設置されたスピーカーからではあるが、本物の鐘を演出しているような音色で、ドラマに出てくるような学校のチャイムではない。ふざけているのかと思うほどの音痴なメロディ。授業の始まりには締まりがないが、終わりには相応しい独特の開放感がある。

 私たちは、徒競走でもするように教室を飛び出した。
 お昼休みになると、廊下はお祭り騒ぎのようになる。男子も女子も、お互いに値踏みする目を向け合い、すれ違う瞬間に、ほんのわずかな「ブス」とか「イケメン」という声が聞こえてくるのがイヤでしょうがない。人でごった返す前に、目的地に辿り着きたかった。

 「マキコちゃん、どうだった?」

 後輩の教室に入るや否や、真っ直ぐにマキコの席に向かい、前置きもなく尋ねた。ヒロナは周りが見えていないようだが、まだ授業の片付けをしている生徒もいて、明らかに異様な空気になってしまっている。それはそうだ。

 「え! びっくりした! ちょっと、先輩、落ち着いてください!」

 マキコも事態を飲み込めていないらしく、周りの目を気にしながら声をひそめて「とりあえず、教室出ましょう」と言った。彼女がクラスでどんな立ち位置にいるのかは分からないが、「先輩」という普段は聞いたこともない言葉を使ったことから察するしかない。
 私たちは、自分たちが想像する以上に学校では有名になっているらしく、後輩たちの間でも「バンドをしてる人」という認知は確実に得ているようだった。
 そして、バンドメンバー全員がクラスにやってくるというのは、それなりにインパクトがあったようで、コソコソとはしていたが小さな興奮がクラス中に広まっていた。

 「ご、ごめんね、突然。どうしても気になっちゃって。あ、あ、朝からずっとマキコちゃんの話をしてたの・・・」

 アキはフォローするように小さく話したが、耳を赤らめたマキコはクラスを出るまで一言も喋らなかった。

 「もお! なんで教室入ってきちゃうんですか!」

 ようやくマキコが口を開いたのは、図書室だった。わざわざこの場所に来て小声で怒るのが不思議だったが、マキコらしい知性を感じる。ヒロナも小声で謝っていたのが面白い。お昼休憩ということもあり、図書室の空気も緩んでいた。

 「ごめんごめん! だって、気になっちゃって」

 マキコは母との関係がうまくいってないようだった。バンドをすることにも前向きでなく、女性として完璧な姿を求められているらしい。そのせいもあり、バンド以外での立ち振る舞いにはとても気をつけている。

 「それで? お母さんは・・・?」

 話を本題に戻すように、私も小声で鋭く聞いた。
 本来の図書室らしい静謐な空気が流れる。この部屋だけが世界から切り取られたような感覚に陥った。もったいぶるように何も言わないマキコに対して、机の上に乗せられたヒロナの指がトントンとリズムを刻んでいるのが際立つ。

 マキコの顔には余裕があった。この静けさを楽しんでいるのが分かる。みんなが期待している空気を味わっている。空白の時間が続くほど、人の関心、集中、注目を集めることができるのを知っている顔。それでいて「もったいぶらないでよ」と口には出せないちょっとした緊張感もあった。昔、テレビでやっていたクイズミリオネアを思い出した。みんなが心の中で「早く! 早く!」と叫んでいるのが聞こえてくる。

 「許可、降りました」

 十分に間を楽しんだ後、彼女はニッコリ笑って、コクンと頷きながら話した。
 思わず全員で「キャー!」と叫んでしまった。手を取り合い、まるで大会に優勝した時のような祝福ムードになったが、すぐに図書委員の先輩に「静かにしてください!」と喝を入れられた。
 クスクス笑いが止まらない。マキコも一緒になって、ずっと笑っていた。再び注意を受けても笑いは止まらなかったので、私たちは図書室を後にすることにした。

 「マキコちゃん! やったね! よかったー!」

 「本当に! はあ、安心したよ・・・」

 「ど、ど、どうなるかと思ったけど、ほ、ほん、本当におめでとう!」

 図書室の前で盛り上がる女子4人。
 手に本を持っている人は一人もいない。
 
 「色々、教えてくれてありがとうございました! あんまり教えは役に立たなかったけど、母もなんとなくは理解してくれたっぽいです!」

 言わなくてもイイことをあえて言うほどの余裕と、喜びを感じる。マキコの中につっかえていたものが本当に取れたのだろう。スッキリした顔になっている。

 「じゃあさ! 阿南さんに連絡するね? みんなの親の承諾取れましたって!」

 「はい! お願いします」

 ヒロナは早速、携帯電話を取り出し文章を打ち始めた。
 1年の半分以上が過ぎたというのに、はじまりの気配を感じる。
 感じたこともない可能性の大きさに胸が膨らむと同時に、とんとん拍子にことが進むことに恐怖を感じている自分もいた。

 「なんか、怖くなるくらい上手く行っちゃってるね・・・」

 「こ、こわくなんかないよ! う、う、運を手に入れるって、こういうことなんだと思う。・・・きっと」

 アキの言葉は励ましというよりも、“祈り”に近い気がした。マキコは激しく首を縦に振っている。・・・そうだね。マキコは頑張ったもんね。 
 
 ぐうううううううう

 地面を割るような音が聞こえてきた。音の方向を見ると、マキコのお腹。
 そうか、今はお昼休みだった。
 彼女は「あたし?」と自分を指差しながら首を傾げた。

 図書室の前が、再び大きな笑いで包まれた。

 1時間57分 2200字

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