【小説】 大きな、穴。
アキちゃんの声が戻った。しかも前よりパワーが増している。
久しぶりのスタジオ練習が終わり、バンドに活気が戻った。懐かしの空気感を共有し、昔の楽曲を何度もさらい、まるで高校時代にタイムスリップしたような感覚だった。当時の記憶と現在の自分たちの演奏技術の違いに驚いた。身体があの頃の曲を覚えていたことに驚いた。私たちはリハーサル中、どこか照れくさく、でも、ずっと笑っていた。
コミュニケーションが減っていても、たった一曲であの頃に戻れることができる。演奏すれば繋がれる。私たちは言葉ではなく、音楽でコミュニケーションをとっていた。音楽の力を信じていたのだ。
だから、私はアキちゃんに何も言わなかった。リオンくんとのことについて。謝ることもなければ、改めて表明することでもない。なにもかも伝わっていると思った。アキちゃんだってパフォーマンスで応えてくれた。それが全てだろう。
翌週から仕事が再開した。新春ライブとの冠がついたテレビ局主催のライブだった。他のアーティストも大勢出るため出演時間は短いが、私たちにとっては仕事復帰の一発目ということもあり、大きな意味を持っていた。それはマネージャー陣も同じで、普段は正面からライブを見守る阿南さんでさえ、ステージ袖まで様子を見に来ていた。
しかし、心配をよそに、アキちゃんはスタジオ練習で魅せた通り、これまで以上のパワーを発揮した。パフォーマンスのサイズが一人だけ違う。どのアーティストよりも声量があり、それでいて静謐な空気を崩さない。一瞬にして空気を変え、虜にしてしまう。唯一無二の存在感を放っていた。どう頑張っても隣で歌うマキコちゃんが霞んでしまう。女優としても活動してる“バンドの顔”を、かき消してしまった。
———アキちゃんは合わせることをやめたんだ 。
そう気付いた瞬間、全身に鳥肌がたった。恐怖にも似た感情を覚えた。抑え込まれていた人間の業が噴き出すような、制御不能なパフォーマンスだったと思う。気を使うことをやめ、本来の姿に戻っていく。ずっと引いていた波が大きなエネルギーの塊となってなにもかも飲み込もうとしている。本来の場所に戻ろうとしているようだった。
案の定、ライブ後には多くのアーティストに囲まれた。「すごい演奏だった」「君たちはどこまで行くんだ」「海外に挑戦した方がいい」などと声をかけられたが、耳の奥ではずっとアキちゃんの歌が響いていて、言葉を跳ね返してしまっていた。
マキコちゃんもミウも、私と同じように放心している。今までの自分たちを全て否定されたような虚無感があった。これまでガムシャラに走ってきたつもりだった。できない楽器を必死に練習して、少しずつ上達してる実感があった。スタジオ練習だって、そんな成長を肌で感じていた。それなのに……。
私たちは、まるでアキちゃんのパフォーマンスに追いつかなかった。追いつけなかった。彼女の背中すら見えない、圧倒的な力の差を見せつけられた。自分たちの力の無さを見せつけられたのだ。
そこに言葉は存在しない。あるのは音楽だけ。
一緒に演奏した者にしか分からない、絶望が横たわっていた。
「アキちゃん、本気出したね!」
絶望の淵に立っている中、私はアキちゃんに声をかけた。自分の内面を隠しながら、なるべく明るい声をあげる。せっかく楽しいライブが終わったんだから。周りからも評価を受けているんだから。空気が悪くならないように、精一杯自分の心にムチを打つ。
「いやいや、そんな。楽しいライブだったね!」
アキちゃんは手を振り、殊勝な様子で前髪を揺らせた。
髪の毛の間からチラリと瞳が覗いた時、私はとうとう、作り笑顔を消してしまった。
アキちゃんの眼から光が消えていた。声音にはニュアンスがあり、抑揚もついているが、眼に感情が宿っていなかった。笑顔を向けているし、言動もいつもと変わらない。でも、私には分かる。彼女の中に、大きな穴が空いていた。
きっともう、この穴が塞がることはないだろう……。
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