【小説】 世界を見てるつもりだった。


 ディレクターという立場になってから、自分がより見えるようになってしまった。良いか悪いかは分からないが、感覚が変わってしまった気がする。自分の目指す音楽の方向性や、音の捉え方に特徴が明確に見え始め、だからこそ理想が高くなっていく。自分の演奏ならば、なおさらだ。

「ヒ、ヒロナちゃん、わ、わわ、私が進めても、いいの?」

 スピーカーからアキちゃんの緊張した声が流れてくる。私はガラスの向こうのコントロールルームを覗きこみ、にっこり微笑んだ。

「じ、じゃあ、と、と、とりあえず流していくから、最初は、イ、イメージを擦り合わせていく感じでいくね!」

 アキちゃんの緊張が伝わったワケでなく、私は私で緊張していた。
 これまで偉そうにディレクションをしてきたけど、では、求めているものが自分には出来るのか。出来なかったら、どうしよう。信用が無くなってしまうのではないか。怖い。そうなったら、もうディレクションをする権利なんてないだろう・・・。

 演奏に関係ないことで不安がいっぱいになる。どうでもいいと頭で分かっているのに、身体が強張っていく。心臓が胸を叩く音。どんどんどんどんどん。明らかに早いリズム。
 ふうと静かに息を吐いた時、メトロノームのクリック音が聞こえ、曲が始まった。反射的にバスドラムを踏み込む。心臓と似た速さのテンポ。ただし、音楽は一定だ。早くもならないし、遅くもならない。
 
 感覚と動きがズレている。
 頭の中にある理想と自分のスキルが一致していない。
 落ち着け、私。
 落ち着け、私。
 まだウォームアップなんだから。
 力を抜いて。
 音楽を聴いて。
 みんなを感じないと。
 ・・・みんなって、どこにいるの?
 録りたてのベース、ギター、歌は聞こえてくる。
 でも、目の前にはドラムだけ。
 何を感じればいいんだろう。
 
「うん、すす、すごくいいと思う。じゃ、じゃあ、ヒロナちゃんブロックで録ってく? そ、それ、それとも流れでフルでいく?」

 アキちゃんの声が聞こえてきて、初めて曲が終わったことに気づいた。しかも、息が上がっていない。へんな感じがする。私、ドラム叩いてたよね?
 でも、アキちゃんは「いい」と言ってくれているし、変な空気にもなっていない。きっと、私の違和感は誰も感じていないのだろう。
 でも、とりあえず、返事をしなきゃ。

「あ、うん。じゃあ、流れで行っちゃおっかな!」
「わ、わかった! 私もヒロナちゃんは流れが良いと思った!」

 私って、流れで録った方がいいんだ・・・。
 それが何を意味してるのかも、なんとなく分かる。
 ミウとマキコちゃんは一曲をブロックで分けるレコーディングをした。そのほうが二人の良さを抽出できると思ったから。
 そもそもメンバー全員で一発録音という形を取ってない時点で、教科書みたいな作り方にはなってしまうが、その中でも各々の闘い方は違うのだ。
 私は流れタイプ。つまり、丁寧に音楽を積み重ねるよりも、エネルギーや勢いを重視した演奏をした方が良さが出る。それって、ドラムとしてどうなのだろうか。

 またしても突然クリック音が聴こえ、曲がはじまった。反射的に身体が動く。
 私はどれだけ人の話を聞いてないのだろうか。レコーディングを始める前には「では流しまーす」と必ず技術スタッフの声が入る。しかし、そんな声も聞こえてない。自分の世界の中にいた。情けない。

 先ほどよりも、鼓動は落ち着いている。
 ドラムのペースの方が早い。
 人間って、本当に自分勝手だ。
 耳から流れてくる音楽と違って、どんどん変化していく。
 こっちは一定に保とうと必死なのに。
 それでいて、ミウの職人ベース、マキコちゃんの孤高な歌声に合わせることもしなければいけない。
 やっぱり、自分のレコーディングは最後にすればよかった。
 もしくは最初がよかった。
 アキちゃんの音がないのが寂しい。
 音が欠けていることが目立って聞こえる。
 早くアキちゃんのレコーディングがしたい。
 私、バンドが好きなんだろうな・・・。

「ヒ、ヒ、ヒロナちゃん、私は、凄く良かったと思うんだけど・・・、ど、ど、どうかな?」 

 まただ。
 曲が終わってた。
 しかも、アキちゃんは一発オッケーだと言っている。
 変な感じ。
 ディレクションを通して、客観的な視点を手に入れたと思っていたのに。
 何も分からなかった。
 私は、世界を見てるつもりだったけど、自分自身すらも見えていなかった・・・。

「アキちゃんがそう思ったなら、それでオッケーだよ!」

 ガラスの向こうを見ると、アキちゃんはニッコリ微笑んでいた。

「ヒロナちゃん、お疲れ様でした!」

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