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【小説】 鬱屈する時期なのかしら


 トントンと心臓が胸を打つ。
 急に走ったから、体内器官がみんな驚いているのだ。
 本当はクールダウンとかをした方がいいってわかってるけど。
 ヒロナは追い焚きボタンを押して、お風呂に飛び込んだ。
 汗も流さず、髪も身体も洗わない。
 ペンギンみたいにとは言わないけど、足先からスルッと湯船に身体を潜らせた。
 母が朝に入ったのだろう。お湯は温かかった。
 全身に鳥肌が立つ。
 足を伸ばせるくらいの浴槽だが、ヒロナは三角座りになってしまう。
「寒い・・・」
 身体は内からも外からも温まってるはずなのに、ヒロナの口からは、なぜかチグハグの言葉が飛び出してきた。
 自分でも驚き、思わず「いや、あったかいけどね」と小さくツッコミを入れてみたが、とても虚しく感じられた。
 身体を動かすたびに、水面が揺れ、水が鳴る。
 チャプン・・・。ポチャン・・・。
 水の音と心に落とされた黒い感情の音が重なっていく。
 ポタ・・・。ポタ・・・。

 レコーディングでディレクションサポートをやらせてもらったことで、初めて自分の非力さと直面した。メンバーの成長や変化を客観的に捉えるほど、感じたことのない不安と焦燥感を覚え、自分だけが空回りしている気になってしまった。
 高校生活で、私は何が変わったのだろうか。
 バンドを始めて、私は成長したのだろうか。
 身体が丸みを帯びたり、膨らんだ気がするが、中身は何も変わっていない。
 好きな人たちと、好きな音楽を楽しく作りたいと単純に考えていた自分が、恐ろしく幼稚に思えてしまう。
 このまま音楽を続けていたら、活躍できるバンドになると信じていた。
 でも、それは“今を生きる”ことを口実に、思考を停止させているだけかもしれない。先の見通しを考えずに、自分に都合の良いことだけを見ていただけ。

 ヒロナは口元まで顔を沈ませた。
 言葉を発しても、ブクブクと泡を立てるだけで音にはならない。
 都合の良いことの裏側に隠れているものを探す。

 どうしてバンドを組もうと思ったのか・・・。
 そこにはアキという才能を利用したいと思う気持ちがなかったか。

 どうしてリーダーを引き継ごうと思ったのか・・・。
 マキコのルックスをバンドの顔にすることで、人気になれる可能性があるという打算がなかったか。

 どうしてディレクションに関わりたいと思ったのか・・・。
 自分にドラムの才能がないと気付いたから、スタッフ側に回って逃げ道を作ろうとしていたのではなかったか。
 心が沈んでいく。
 こんな落ち込むことは、今までなかったのに。
 ヒロナは大きく息を吸って、頭のてっぺんまでお湯に潜った。

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