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【小説】 天秤にはかけられない

【マキコ】

 「お母さん、あのね、あたしのバンドが芸能事務所からスカウトされたの」

 ここ数日、母との関係は良好だった。良好というか、会話が圧倒的に増えていた。母が文化祭のライブを見にきてくれたことがキッカケであることは間違いない。バンドメンバーを実際に見たことが大きな安心材料になったらしい。
 母の中で作り上げられていたバンドに対する偏ったイメージが、ロウソクに火がついたようにボトボトと溶け出している気がした。私は、その火を絶やすまいと、さらにバンドの話をしたし、メンバーの話をした。
 
 「え? どういうこと? いつ?」

 「前に出場したバンドの大会があったでしょ? その時に、私たちの演奏に目をつけてくれていたらしいの。阿南さんっていう人なんだけど。それで、ワンマンライブをやるっていう噂を聞きつけたらしくて、この前の文化祭にもコッソリと見にきてくれてたんだって」

 ごめんね。お母さん。
 本当は大会の時にスカウトされていたし、一度、メンバーだけで事務所に行ったこともある。結局、その時はオジャンになってしまったけど、ヒロナさんが連絡を続けてくれたおかげで、阿南さんは文化祭にも来てくれたんだ。
 でも、こんな話をしたら「勝手なことをして」って起こるでしょ? だから、少しだけ嘘をついちゃったんだ。

 「すごいわね、その人の執念は」

 「で、『やっぱり、自分の目に狂いはなかった。事務所としてサポートをさせてくれませんか?』って言ってくれたの。もし前向きに考えてくれるなら、それぞれの親にも話をしてくれないかって」

 私は緊張を一生懸命に押し殺そうとしていた。この話をするまでに、どれだけメンバーに励まされたことだろう。すでに、みんなは親に話をつけている。どうやって話を切り出したのか。反応はどうだったか。では、自分はどうすればいいか。

 「はい、コレ。名刺」

 用意していた阿南さんの名刺をサッとテーブルの上に置いた。手の震えがバレないように。
 母は話を聞いてはいるが、洗い物の手を止めることはなかったので、自分の話を続けることにした。

 「事務所に入ったからって、すぐにCDを出せるとか、そんな簡単にコトは進まないって分かってるんだけど・・・。正直、あたしは興味がある」

 「それはどうして?」

 ドキッとした。怒られているのかと思うくらい、豪速球のボールを投げられた気がした。即答できない私の代わりに、食器と水道の音がカチャンカチャンとぶつかる音が響いている。
 このボールをどう打ち返していいのか分からない。どれくらいの力を込めたらいいのか分からない。空振りするのが怖い。また喧嘩になるかもしれない。誰も答えを知らない。
 でも、打席に立ってしまっている。いくら早くても、ボールは見えている。これを見逃すワケにはいかない。それなら・・・。

 「・・・飽きないでいられるから・・・かな」

 母は私の目を見た。水道はバシャバシャと流れているが、手が止まっている。
 
 「なにそれ?」

 「ああ、バンドにってことじゃなくて! ・・・“自分に”飽きないでいられるってこと」

 私の言葉を聞くと、母は何かを思い出したような顔をして、再び手を動かし始めた。何か言うのかと思ったけど、何も言わない。キュッキュとスポンジが食器を鳴らしている。さっきより、忙しなく洗っているように見える。

 「そんな断言できるようなことじゃないから、もう少し続けてみないと分からないんだけどね・・・」

 今までなら自分の熱意と勢いがなければ、肉食獣のような目をした母と対峙することができなかった。それくらい母も喰らいついてきたのだ。それが、どうだろう。母は無視をしているようには見えないのに、口を閉ざしている。どんな意図があるのかは分からないが、私が打つボールは壁打ちをしているように、自分に返ってくる。
 母に話をしているのか、自分に話をしているのか、分からなくなっていた。

 「やりたいことを見つけたとか、夢を追いかけたいとか言ってたんだけど、なんかちょっと違う気がしてて」

 こんなに自分の気持ちを正直に喋ったことはない。いつも闘おうという意志があったから。どこかに嘘を散りばめていた。

 「勉強とか生徒会って、楽しくないワケじゃないんだけど、どこかで『なんか違うことしたいな』とか『このままでいいのかな』っていう気持ちにさせてたんだよね」

 我慢をしてきたのかもしれない。違和感に気付かないように、あれこれと動いていた。向き合いたくなかったから。

 「たぶん、あたしは器用だから、ちょっとやっただけで何となく勝ちパターンというか、どうすればいいかが分かっちゃって。それはお母さんの教えがあってのことなんだけどね。でも、そんな自分に飽きてたのかもしれないなって。あ、お母さんのせいってことじゃないからね?」

 誰かに合わせて生きる人生と、自分に正直に生きる人生を天秤にかけてしまっていた。

 「最近、バンドをすることって、絶妙なラインだなって思ってるの。たぶん、勝ちパターンとかもあると思うんだけどさ。事務所に入るとかもそうなんだけど。でも、それって天井が見えることでしょ? で、そんな部分と、もっと純粋にバンドを楽しむっていう天井のない世界がある気がしていて。そんな相反する二つの世界が同時にあるってことが、自分を飽きさせないんじゃないかなって思ったの」

 正解と不正解が同時にあるから面白い。
 天秤にかけることができないから面白い。

 「お母さんには散々『やりたいことを見つけた!』とか、『夢を追いかけたい』って言っちゃってたんだけど。もう、それって実現してることだったんだよね」

 お母さん、理想の娘になれなくて、ごめんね。
 でも、これが私なの。
 
 「曲を作ったから気付けたことなんだけど、自分に飽きないでいられるかってことが一番大切なのかもしれないなって思ったの。だから、こんな楽しいバンドを続けていくためにも、事務所に入りたい」

 「・・・あなた、大人になったのね」

 母はそれしか言わなかった。
 洗い物が終わり、名刺をチラっとのぞくと、私の目を見て、優しく頷いてくれた。


2時間14分 2500字

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