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【小説】 悲しい導火線。


 式場で私たちはアキちゃんの生前について何も語ることができなかった。いや、語るほどの余裕がなかったという方が正しい。アキちゃんには家族が一人しかいなかった。母と子の二人三脚で生きてきた。我が子に先立たれた母親の前で、どんな話ができようか。私たちは、ひたすらに黙していた。
 アキちゃんのお母さんは目を真っ赤に染めていたが、気丈に振る舞っていた。自宅に遺書らしきものが残されていたため、警察も自殺と処理したのだという。手紙の内容もごく簡素で、しかも抽象的な内容だった。
 「私は弱い人間で、未来に望みがなくなったから死を選びます」というだけ。それから今までお世話になった人たちへのお礼が、あっさりとした文句で付け加えられていた。母に迷惑をかけてごめんなさいと、詫びの句も述べてあった。必要なことは最小限で、私たちの名前は見当たらなかった。何度読み返しても、アキちゃんの“本音”を感じられなかったが、私はすぐに、アキちゃんがワザと回避したんだと思った。最も痛切に感じたのは、最後に添えられた、もっと早く死ぬべきだったのに、なぜ今まで生きていたのだろうという意味の文句だった。

 葬式の帰り道、私は何人もの心ない人たちから「どうして彼女は死を選んだのか」という質問を受けた。その様子は後日、ワイドショーでも取り上げられたらしい。私は憔然とし、目は虚で、ただ首を横に振るだけだった。それがかえって、世間の感情を揺さぶったらしく、それ以降は「そっとしてあげよう」というムードに包まれた。しかし、事件があってから、私は何度となく同様の質問を自分に問いかけている。そして私を苦しめていた。私の良心はチクチクと刺されたように痛んでいた。「お前が殺したんだろう、白状してしまえ」という、声が聞こえてくる気がしてならなかった。

 バンドは無期限の活動休止を発表し、しばらくメンバー同士が会うことはなかった。連絡も取り合わず、静かに喪に服した。その後、とあるニュースメディアがアキちゃんの死を“芸術としての自死”と称したらしく大炎上した。事務所は声明文を出したらしいが、私たちは一言も口を開かなかった。かくして、私たちのバンドは露出することなく世間の記憶に残るバンドになってしまったのだ。

 リオンくんが一時帰国したのは、その年の年末だった。電話では報告していた。でも、海外という物理的な距離が実感を伴わせなかったらしい。彼は空港に迎えにきた私の顔を見ると、優しく笑って手を振った。そして、そっとハグをして柔らかいキスを交わした。幸福に満ちているようだった。誰が見ても、私たちは幸せ者だっただろう。数ヶ月ぶりに再会した夫婦の感動的な場面なのだから当然だ。でも、私はどうしても、幸福にはなれなかった。黒い影がついていると感じてしまう。この瞬間を最後に悲しい運命に連れて行く導火線に火がついた気がしてならなかった。
 お願い、誰か、この火を止めてくれ、と何度も祈った。


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