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【小説】 たったの数時間。


 たったの数時間で世界が変わる。同じ言葉を使っているはずなのに、少しずつニュアンスにズレが生まれ、知ってる人がいなくなる。地方に来ると、いつもそんなことを思ってしまう。福岡公演。別に旅行で来ているワケではないけど、まだまだ私たちは心が躍ってしまう年齢なのかもしれない。私はことあるごとに「なんばしよっと」と博多ことばを使おうとしたし、その度にマキコちゃんは「それじゃイカンたい!」と、ワケの分からないツッコミを入れて、バスの中をキャッキャと楽しんだ。地元の人がこんな会話を聞いたら怒るかもしれないが、それくらい地方公演というものは、私たちに非日常感を味合わせた。
 過ぎ去ってく景色が違う。見たことない、街。でも、住んでいるのは私たちと同じ人間なのだ。たった数時間で、ここまで環境が変わってしまう。テレビを見てる数時間、本を読んでる数時間、友達と喋ってる数時間、どこかの時間を切り取るだけで、世界を変えることが出来てしまう。

 リハーサルが始まる。音の確認。私たちにとって一番大切な時間。自分の音がどう響くのか。会場に合わせてチューニングをしていく。居心地を、その地に合わせて変化させていく。この時間が、好き。特にヴォーカルの二人は、リハーサルに時間を割く。空っぽの会場はよく音が響くが、お客さんが入れば、音は人に吸われてく。それを「音が届く」なんてことを言うのかもしれないけど、演奏する側から言わせると、反響がなくなり平衡感覚を失う感覚に近くなる。どんどんボリューム調整がおかしくなり、歌う人間は喉を酷使してしまう。しっとりした曲が押し付けがましくなったり、ハジけた曲がシャウトするまで爆発したり、それはそれで楽しいんだけどね。このリハーサルで、あらゆることを予想して、音と自分を調整していく。

「ここ、やりにくいかも」
 マキコちゃんは、そんな苦い顔をしていた。素直な、いい顔。決して声に出すことはないプロ意識はあるけど、表情には気持ちがダダ漏れしてる。だから、私やミウがフォローする。「もう一回だけ合わせてもいいですか? 時間ないのに、すみません!」と大きな声を出す。これはリーダーである私の仕事。頬にぬるい水が流れる。ミウがこちらをチラリと振り向き、パチリとウィンクをする。なんか、私たち頑張ってるね。スタッフさんには申し訳ないけど、こうやって、少しずつ少しずつ土地と自分達を混ぜていく。納得いくまで、ミキサーのボタンを押し続ける感じ。

 たった数時間、たった数時間だけど、世界は変わる。
 仕事で、この地を訪れただけ。お金だって、チケットだって、全部用意してくれる。だから、そんなことを思うのかもしれない。でも、それだって、たったの数万円の話にすぎない。
 たったの数万円と、たったの数時間。
 私はいつだって切符を握っているのだと思った。

「じゃあ、休憩入りまーす!」


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