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Chapter22


 「アオイ先輩、飲みいきませんか?」
 LINEでメッセージを送ると、すぐに既読マークがついた。
 そもそも文化芸術部門は社長の趣味から発展した穏やかで小さな場所だ。
 だから音楽イベントを中心とする会社のメインチームとの交流は少なかった。
 唯一、交流機会が生まれるのは喫煙所で、芸術に造詣が深い社長と出会い、派生するように各部長や、朝倉アオイと出会うことができた。
 ここで小さなコミュニティが生まれたといっても過言ではない。
 しかし、最近、アオイの姿を見なくなっていた・・・。

 「ごめん、今日は無理」
 既読マークがついてから数時間後に短い文章が届き、胸がザワついた。
 メッセージを読んでから数時間に何か問題があったのだろうか。
 先輩は返信が早い人だった。それはハルにも共通することで、仕事が出来る人ほど返信が早い。
 飲みの誘いくらい即答できるはずなのに・・・。
 
 「お! オサムくん、一人? 珍しいね。アオイちゃんいないなんて」
 どうしても先輩と話をしたくて、行きつけのバーに乗り込んだ。
 先輩が長く通っている店で、初めて自分をさらけ出すことができた場所らしい。
 ここで先輩の色々な表情をみることができた。
 酔っ払いの顔の他に、女性との接し方や常連客との口論など。
 仕事場では絶対に見せることのない、隠されていた人間性が吹き出していた。

 「こんばんは! 今日は一人で来ちゃいました」
 最近の先輩は変だ。
 それは社内でも話題になるほどで、マキコからも「朝倉大丈夫なの?」という連絡が来るほどだった。
 殻に閉じこもったように一人で全ての仕事をこなすようになり、会社を巻き込んだり、情報共有することもしない。
 些細なズレが摩擦を生み出していた。
 
 「アオイちゃん、最近は毎日来てるよ。結構酔っ払ってるんだけど、なんか、溜まってるみたいだね」
 「え、そうなんですか?」
 「まあ色々あるんじゃない? あんまり仕事の話とかしない人だから、よく分からないんだけど」
 マスターは大人だ。
 接客業ということもあり、お客さとの距離の作り方が絶妙に上手い。
 核心の一歩手前まで来ても、その先には絶対に踏み込まない。
 だからなのか、この店には世間と折り合いをつけることが苦手というお客さんが多く見られた。
 経営者、風俗嬢、漫画家、LGBTQ、売れてない役者、ダンサー・・・。
 先輩と二人で来たことしかないが、それでもバラエティに富んだ職種の人たちと出会えた。
 皆、一様に孤独を抱えている。
 「ネタとして話せること」の裏には「絶対に話せないこと」という影が見えた。
 
 「オサムくんは何飲みますか?」
 先輩が唯一可愛がっている後輩ということで、ボクの名前は広まった。
 「アオイちゃんが後輩を連れてくるなんてね」と言われ、先輩は顔を赤く染めていたのを覚えている。
 先輩の愛情を感じて嬉しかった。

 「ブラッディ・シーザーありますか?」
 「ああ、そうだったね。あるよ! タバスコ2滴だね!」 
 お酒のことを教えてくれたのは、間違いなくアオイ先輩だ。
 社長や他の上司にも色々なお酒は教わったが、自分が一番美味しく楽しくようことができるお酒を一緒に探してくれた。
 
 「最近、オサムくんはどうなの? 元気?」
 お客さんが少なかったこともあり、マスターはお酒を作りながら話題を振ってくれた。
 「元気です。仕事は特に変わらず、コツコツとって感じですかね。今は美術展の企画を進めてますね」
 無駄のない動きでお酒を作るマスターの手元に見惚れていた。
 カツカツと氷を削る。
 トクトクと音を上げながら、琥珀色のお酒と紅色のトマトジュースを注がれる。
 マドラーがカラカラと風鈴のような音色を奏で、勢いよく二つの液体を混ぜていく。
 「いいねえ、美術。オレは、この前ティム・ウォーカーの写真展に行ったよ」
 マスターは少しでも共通点を探してくれる。
 美術と写真は違うようで、隣に座っているような近い感覚もあった。
 何も知らない人では、ここで会話が終わってしまう。
 しかし、マスターが共通点を探してくれたから、ボクも必死で話題を探し、話を前に進めることができた。
 そして、マジックリアリズムの素晴らしさについて語るというマニアックな領域にまで話は発展した。

 「おー! アオイちゃん! 今日も来たね」
 マスターがボクの後ろに焦点を合わせながら声を発した。
 間違いなく「アオイちゃん」という言葉が聞こえ、少しだけ体が硬直して、振り返ることができなかった。
 何も知らない先輩は、ボクから二席空けたカウンターテーブルに座った。

 「モルガンロックで」
 先輩が自分の家に帰ってきたかのようなリラックスした声で注文を済ませて、カバンからスマホを取り出そうとしたときに、ボクたちは目があった。
 スマホを取り出そうとする変な態勢で先輩は固まっていた。

 「お疲れさまです」
 「あ、お疲れ」

 店内にはカラカラと可憐な音が響き、ラムの香りが充満していた・・・。


1時間40分・2030字

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