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礼儀  (ヒロナ)

【ヒロナ】

 テーブルには緑茶が四つとコーヒーが一つ用意された。
 壁一面の窓からはビルが沢山見える。無機質に並ぶ凸凹の風景がこれからの競争時代を予感させた。人々はより高いところを目指し、合理性を重視して生きていくのだろう。正しいことが基準になり、無駄なモノや歪なモノは排除されていくのかもしれない。
 音楽はどうなっていくのだろうか。
 誰かにとっては意味があるが、誰かにとっては価値がない。難しいポジションだ。

 「さてと。改めてになっちゃうけど、来てくれてありがとう。大会の記録映像があって、それを見返していたんだけど、やっぱり素晴らしい演奏だった」

 阿南さんは静かに興奮しているようだった。
 これほど真剣に大人から褒められるとムズ痒い。先生とも親たちとも違う、好意的な反応に思わず心が緩んでしまう。

 「えっと、リーダーみたいな人は決めてるのかな?」

 阿南さんの前には、私たちのバンドのプロフィール資料のような物が置かれていた。彼は目を紙に落とし、ペラペラとめくっている。大会前のエントリーで送っていたバンド写真だ。学校情報、メンバー情報が記入されているのが見えた。

 「ちゃんとは決めてなかったんですけど、なんとなく私になってます」

 一応みんなに目で確認をすると、「当たり前じゃん」といった顔をしていた。恥ずかしくて直接聞けなかったことが、この場でようやく決まった気がする。

 「なるほど。茂木さんがリーダーっと。他にも役割分担とかってされているのかな? 例えば作詞作曲とか」

 彼はメモを書きながら会話を続けた。名前を呼ばれたことで、やっと自分たちが自己紹介をしていないことに気付いた。心の中では「やばい」と思っていても彼はそんなことを気にする素振りもないし、時すでに遅しだ。

 「基本的は谷山さんが作詞作曲をしてるんですけど、この夏休みから、一人一曲、曲作りをしないかって話になってます!」

 自己紹介のことに気を取られていた一瞬の間に、マキコちゃんが質問に答えた。自分の存在を誇示するかのように、大人っぽく話す姿が可愛らしい。彼女のような強い欲求を誰も持ち合わせていないので、進んで前に立ってくれるのはありがたい。

 「おお、それはいいね! 谷山さんは、昔から曲作りとかをしてたの? ギターも歌も、凄く慣れているような印象を受けたんだけど?」

 阿南さんはマキコちゃんのアピールは意に介さず、すぐにアキちゃんに興味を持ち始めた。
 突然、自分にフォーカスが当てられたことにアキちゃんは戸惑い、固まってしまった。

 「・・・あ、あ、あ、あの、あの、あの・・・え、え、えっと・・・きょ、きょき、きょく、曲は・・・」

 アキちゃんの反応に彼はビックリした顔をしていた。言葉に詰まり、緊張する姿はステージでの彼女の印象とはまるで違う。
 ゆっくりと時間をかければ、彼女はしっかりと話すことができるのに、マキコちゃんはフォローをしようと思ったのだろう。間に割って入ってきた。

 「あの! 谷山さんは言葉が詰まってしまうクセみたいなモノがあって、急に話をすることが苦手なんです! だけど、歌とかパフォーマンスには何も支障はないので! だから説明すると・・・」

 「マキコっ!」

 ミウの声がピシャリと会議室に響いた。落ち着いている雰囲気を出しているが、ミウの目は完全に切れている。目の前に阿南さんがいなかったら、徹底的にマキコちゃんを詰めているだろう。グツグツという音が聞こえてきそうなほど、ミウの顔は静かに熱く怒っていた。
 マキコちゃんは「ごめんなさい」と言うことも出来ずにシュンとして、場は完全に固まってしまった。
 
 「ごめんなさい・・・」

 ミウはすかさず、場を凍らせてしまったことを謝罪した。
 彼女は本当にフラットだ。誰に対しても。どんな場所にいても。素直に感情を出すことができる。そして、自分の行いを冷静に判断し対応する。
 ミウのおかげで、私は自由に道を進むことができるのだ。

 どれだけ空白の時を過ごしたのか分からない。
 阿南さんも何も言わず、じっと私たちの関係性を見守っていた。
 誰が何を喋るのかという緊張感がしばらく続くと、アキちゃんは肩を揺らし、ポロポロと涙をこぼし出した。

 「・・・ごめんなさい・・・ごめんなさい・・・ごめんなさい・・・ごめんなさい・・・」

 アキちゃんは小さな声で何度も謝っていた。
 ミウがアキちゃんの背中をさすり、阿南さんはすぐに「ちょっと席を外すね」と空気を読んで退出した。
 静寂の中、シクシクというアキちゃんの声だけが響いている。
 どうしてこうなってしまったのだろうか・・・。

 バンドを結成したときに、プロになることは考えなかった。
 でも、超満員のライブ会場を熱狂させている自分たちの姿は想像した。
 結局のところ、ナニカを夢見ていたのかもしれない。だから大会に出場したし、こうして芸能事務所まで足を運んだのだ。

 何かが変わるかもしれない。
 何かを変えたいという希望が、おぞましい欲望に変わったのだろう。
 
 マキコちゃんがアキちゃんの吃音を隠すようにフォローしたこと。ミウがマキコちゃんを叱ったことは、心のどこかで「可哀想なアキ」という人物像があったのかもしれない。

 分からない。

 だって、そのことについて話し合ったことはなかったから。アキちゃんには歌があるから、関係ないと思っていたから。
 見ないフリをしていたワケではない。
 でも、触れてはいけないことだという意識は私にはあった。
 皆の心の奥にあるドロドロとした生々しい感情が噴出してしまった・・・。
 
 「帰ろっか」

 私の言葉にアキちゃんは何度も頷いた。
 マキコちゃんとミウは黙っている。
 二人のリアクションを気にせずに、ドアの外にいる阿南さんを呼びにいった。
 
 「阿南さん、ごめんなさい。私たち、今日のところは帰ります」

 「そうか・・・。分かった」

 「せっかく時間を作ってくださったのに、ごめんなさい」

 「全然、大丈夫だよ。落ち着いたら、また連絡してね」

 みんなが帰り支度を始めている。結局、滞在時間はどれくらいだったのだろう。私たちの儚い夢が散っていく音が聞こえてくる。
 「では」と事務所を後にする寸前に、阿南さんが私にだけ耳打ちをしてくれた。

 「キミたちは、きっと、良いバンドになる」

 私の中に、小さな種が植え付けられた気がした。
 
 「失礼します」

 こんな状況になってしまった中、彼の優しい言葉になんて返答したらいいか分からなかったが、全力の笑顔で返答することが、彼に対する最大の礼儀な気がした。

 2時間3分 2660字 

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