【小説】 打ち上がって、雲ができる。


 大人は打ち上げが好きらしい。お酒で顔を赤らめ、口から疲労を吐き出すように、意味もない言葉をダラダラと垂れ流す。理性という操縦桿を失った人間は、運転手のいない飛行機、車、自転車みたいで、見ていて恐い。文学とか映画とかアニメみたいに、非現実的なワイワイガヤガヤという音が鳴っている。カタカナが見える。それだけは、面白い。

 自分でも驚いたけど、私は人混みが苦手らしかった。文化祭とか好きだったし、大勢を仕切るのは得意な方だと思ってたけど、大人に囲まれているということもあるせいか、息苦しさを覚えた。反対にノビノビしてるのは、マキコちゃんで、大人の社会に混ざっても生徒会長らしい存在感を放っている。彼女の周りには人が集まり、ずっと話題の中心にいる。すごいなぁ。

 唯一、有難いなと思えることは、周りが出演者を贔屓しないことかな。ヘンに気を遣われることもないから、別に一人でボーッとすることもできる。「打ち上げは、スタッフを労う会だから」とずいぶん前に阿南さんに教わってから、こうした場ではメンバーがたむろすることはない。だから余計にそれぞれのポテンシャルが見えてしまう。

「終わったねぇ」

 阿南さんは、私の隣に座っていた。マネージャーとメンバーが隣に座るなんて見栄えが良くないし、いつでも話せるんだから、やめてよね。とは言わない。だって、阿南さんの目を見ると、完全に操縦士はいないようだったから。

「うん。すごい、楽しかったです」

 本当にライブは楽しかった。初の全国ツアーを無事に終えることができた達成感もあった。ライブの最後では、全員が号泣してた。ガラにもなく、震えるほど泣いてしまった。だから抜け殻になってしまったのか、今はひどく落ち着いている。感情のスイッチが切れたみたいだった。

「谷山さんが覚醒してからの、HIRON A’S は神がかってたねぇ」

 阿南さんは素直な人だ。お酒の力は関係ない。思ったことを口に出す。おかげで私の胸の奥がチクっとする。覚醒前の私たちはどうだったんだろう、とか思っちゃう。ちょっとだけ血流が速くなった気がした。相変わらず感情スイッチは切れたままなんだけどね。

「アキちゃん、本気出してきましたね」

 でも、阿南さんの言う通り。アキちゃんが変化してからのライブは、自分でも信じられないくらい出来がよかった。谷山アキという飛び抜けた才能に、全員が必死で追いつこうとガムシャラだった。これまで積み重ねてきた経験を総動員して、ライブに挑んだ。メンバーだからこそ、友達だからこそ、本気でぶつかりたいと思ったんだ。

「おかげで、私たちはヘロヘロでしたよ」

 ちょっとおどけて、コーラを飲んだ。大人がビールを飲むみたいに、ぷはあ、と演出してしまう。これは女の性なのだろうか。意識より先に身体が動いてしまう時がある。その後に、あざとかったな、とか。自分キモいな、とか思う。
 まんまと阿南さんも「あはは」と笑うんだから、なんだかな。

「でも、みんな、進化したよ! 谷山さんに影響されるみたいに、どんどん良くなったし。最後の公演なんて、みんな10代とは思えない貫禄があったからね」

 乾いた笑い声を上げると、阿南さんは目の前のグラスを傾けた。ジンジャエールみたいな色をした何かのお酒が、ゴクゴクと音を立てながら喉を流れていく。
 私はどんな顔をしていたんだろう。グラスから顔を上げた阿南さんは、私の顔を見てハッとした。そして、変な間が生まれた。ワイワイ、ガヤガヤの文字が見える。

「『ReRe』のレコーディングの時・・・」

 私の声と、阿南さんの「すみません、ハイボールを」という声が重なった。ん、あ、え? と、再び変な空気になって、笑っちゃった。

「いや、今度の『ReRe』のレコーディング、ピアノ指導してくれた友達を呼んでもいいですか?」

「ああ、森口くんだっけ? もちろん、もちろん! 彼の力で緒方さんのピアノも上達したしね」

「あと一曲、同じくピアノロックの曲ができたから、それも録りたいです」

「え、このツアー中に作ったの? さすがだねぇ。とりあえず、音源を聴いてみたいから送ってよ!」

 すんなり会話が進んだことに少し驚く。ちょっと間があく。私が殊勝に「わかりました」と答えようとすると、仏頂面の店員に「ハイボールでぇす」と空気をぶった切られた。タイミングってこういうことかもしれない。阿南さんは「じゃあ、ちょっと他の席も行こうかな」と言い、席を立った。

 ポカンと隣に空白ができる。何気ない会話だったけど、決定的な出来事だった。スイッチはパチンと入るんじゃなくて、ぬるっとしてた。グラデーションがあるのかもしれない。
 森口リオンと、また仕事ができる。アキちゃんが好きな人。アキちゃんを好きな人。両思い。私は蚊帳の外。それでもいい。また、会える。彼のピアノが聴ける。
 夏真っ盛り。むくむくと入道雲が大きくなるみたいに、私の心は高鳴り始めた。

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