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【小説】 血の気と、腹の虫。
私は分別なくリビングをぐるぐる歩き回っていた。脳が無意味でもそうして動いていろと命令する。私はなにかしなければいけないと思っていた。でも、同時に、もうどうすることもできないと思っていた。ときどき、足にピチャピチャと床に濡れたココアがつく。ココアをつけた素足がリビングのフローリングを甘くしていった。
テレビ画面では、とうにニュースは終わっていた。街に出て美味しいグルメを探している。そういえば、朝ご飯を食べていなかった。その途端、腹の虫がグウとなり、私はようやく床のココアを拭く気になった。
報道では死去の二文字だけだった。アナウンサーが口をぱくぱくさせていたが、消音にしていたためなにを喋っていたか分からない。でも、私の中には確信があった。アキちゃんは、自ら死を選んだんだと。
床を拭いてからも、私は自分を制御することができず、ひたすらに部屋を歩き続けていた。意味もなく、テーブルの上に座ったり、冷蔵庫を開けてみたりしていた。電話をかけようと思ったのは、三度目の腹の虫がなった時だった。
「もしもし、なにがどうなってるんですか?」
通話中のツーツー音に向かって、私は話していた。
「もしもし、なにがどうなってるんですか?」
阿南さんと電話が繋がるわけなかった。
また、お腹がなった。今度はミウにかけてみる。
「もしもし、なにがどうなってるの?」
「え、ちょっと待って、なにが?」
ミウは何も知らなかった。そもそもテレビよりも本を読んでいるような子だから仕方ない。私はなんて答えるべきか、返事に窮した。
「いや、その、なんていうか……。本当に誰からも聞いてない?」
「聞いてないよ、なんなのよ。あ、まさか、またスキャンダル出ちゃった感じ? 今度は誰なの? またあんたたちじゃないわよね?」
「ちがう、そうじゃない」
「じゃあ、どうしたの……?」
私の口調に、ミウは静かな緊張をみせた。
「落ち着いて聞いてね」
その言葉を使うべきか直前まで躊躇した。息に心臓の鼓動が混ざる。呼吸が早まり息が途切れ、私の方が落ち着いていなかった。私は一呼吸置いて、慎重に口を開いた。
「アキちゃんが……」
自分の血の気が引いてくるのがわかった。ニュースを見た時よりも、身体中に恐れが走っている。ゾッと鳥肌が立っている。手先指先が冷えてきた。
「……自殺した」
ミウが「え?」と返事をしたのは、それから数秒も経った後だった。声に空気が混じり、若干の笑いが入っている。「何言っちゃってんの」という笑いだったと思う。しかし、私は再度同じ言葉を呟くと、受話器の向こうで顔面を白くするのが分かった。
「ごめんなさい。私のせいだ。本当にごめんなさい」
こんなこと喋る予定ではなかった。でも、ミウの声を聞いたら、不意に我とも知らずそう口にしていたのだ。アキちゃんには一度も謝ることはなかったのに。懺悔の口を開かせた。
「ヒロナ、違う、落ち着いて。まずは事実確認から始めていこう。阿南さんや会社には連絡した?」
「もうした。誰も電話に出なかった」
「アキちゃん本人には?」
「いや、してない」
「そう」
ミウが私の謝罪を気にもとめなかったことに、安心している自分がいた。ギリギリと奥歯を噛み締めた。
「じゃあ、私かけてみるから、ヒロナは色んな人に連絡しないで、ちょっと落ち着いて待ってて。パニック状態で動かれても困るからさ。それと外出はしないこと。もし、その話が本当だったら、記者たちが家に押し寄せてくると思う。だから、静かに家にいた方がいい」
「……わかった、ごめん」
ミウの声は固かったが、要領を得ていた。私は電話を切ると、インターネットを開きアキちゃんの名前を検索した。アップされた記事、全てに目を通す。警察が動いた。救急隊のみの出動だった。自宅でグッタリしていた。直前まで誰かと電話をしていた。他殺かもしれない。どこも曖昧なことしか書いていなかったが、共通しているのは、アキちゃんが死んでしまったということ。全ての記事が、それを前提に書かれていた。
その時、自宅のインターホンがなった。外からは人の声が聞こえてきた。子どもの声じゃない。小鳥の声でもない。獣が獲物を前にヨダレを垂らす音だった。私は床に寝転び、頭を抱える。再び震えが起こった。そして、お腹がなった。
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