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【小説】 一瞬のVサイン


  その日のクラスは賑わっていた。自由登校ということもあり、相変わらず欠席者が多かったが、センター試験が終わり、ひとまず安堵の表情がみんなの顔に浮かんでいる。
「ミウ! どうだった、どうだった、どうだった?」
「ヒ、ヒロナちゃん、ちょっと落ち着いて!」
 ミウが教室に入ってくるなり、ヒロナはジャーナリストのようにミウに飛びついた。アキは必死に気を遣うが、ヒロナは気にしない。メッセージでは結果を聞けなかったらしく、どうしても直接聞きたかったらしい。 
 眼鏡の奥に見えるミウの目は、柔らかい三日月を描き、マフラーで口元は隠れているが、頬骨が上がっているのが分かる。
 その立ち姿、表情、雰囲気から、ヒロナは瞬時に何かを察知したが、ゴクリと唾を飲み込み、ミウの返事を待った。
 ミウは何も言わず、腕をスッと前に伸ばし、手袋で大きくなった手で、Vサインを作った。

「まあ、これで一安心って感じかな。挑戦って意味で、私は国立も受けるから、まだ受験は続くけど、私立はこれでクリアって感じ」
 ミウを囲むようにしてヒロナとアキが席に座ると、「失礼します」と小さく挨拶を呟きながらマキコがクラスに現れた。一学年の下とはいえ、この日ばかりは気になったのだろう。これで「HIRON A‘S」全員集合だ。
「おはようございます! ミウさん、センター大丈夫でしたよね?」
 あっけらかんと笑顔で聞くマキコに、ミウは思わず肩の力が抜け、
「あんた、それで私がダメだったらどうするつもりだったの?」
 と半分笑いを混ぜながら答える。
「ってことは、やっぱり大丈夫だったんだ! よかったー! おめでとうございます!」
 マキコの明るさに呆れ顔をしているが、外の寒さに反して、ミウの頬は桃色に染まっていた。

「ミウは本当にすごいよ」
 ヒロナは一日中、同じ言葉を繰り返した。
 それ以外の言葉を知らないのかと思うほどに。
 休み時間も、移動教室の時も、昼食時も。
 隙あらばミウを褒め称えた。
「もう分かったって。バンドにも色々気を遣って貰っちゃってるから、ありがたいとは思ってるけど、まだ受験は続くし、それに、うまくいかなかった人もいるんだから」
 ミウは目線を周囲に送り、会話の後半を小声で話した。
 昼時になると、Vサインを作ったミウも周囲を見れるようになったのだろう。食堂にいる他の生徒に気を遣っていた。そこには、肩を落とす制服姿もあった。
「そうかもしれないけど、ミウだって頑張ってきたんだから! 周りなんて気にしない、気にしない! 素直に喜べばいいの! そういうもんなんだよ、人生は!」
 ヒロナは、あえて声を大きくするようなことはせずとも、あくまで普通に会話を続けた。
「ヒロナ、あんたねえ。昔から周りを気にしなさ過ぎなのよ!」
 ミウは眉を寄せながら、菓子パンをかじる。
 彼女が周りを気にしているのには、もう一つ理由があった。
「だから昔から言ってるじゃん! 周りなんて気にしない! 気にしなーい! 思ってる以上に人は他人に興味ないんだから!」
 ヒロナの言い分は理解できる。
 人は他人に興味がない。結局、自分が好きだから。
 理解はできる。理解はできたが、現実とのバランス調整が難しい。
「それにね、空気を読みすぎたら、自分が空気になっちゃうんだよ? ミウは、勉強も音楽も投げ出さないで、毎日コツコツ積み重ねてきたんだから・・・」
 ミウは表情を変えず、ヒロナの話を聞いた。
 ありがたい。
 ヒロナが私のブレーキを外してくれた。
 いつも、突飛なことを言って、私に新しい価値観を与えてくれた。
 でも・・・。
 嬉々として褒めちぎるヒロナの声がボンヤリと薄れていく。
 そして、昨晩の彼氏との電話の声が蘇ってきた。

“ボク、ダメだったかも。マークシートの記入がズレてた可能性が大きい”
 彼氏である中草コウシは、試験に失敗した。
 時間が経つほど、その事実がクッキリと輪郭を持って目の前に現れる。
「学校なんて電車みたいなもんなんだから! みんな、たまたま乗り合わせてるだけ。駅に着いたらそれぞれに降りてくみたいに、卒業したり就職すれば、最後にはバラバラになっちゃうんだよ? だから・・・」
 分かってる。分かってるけど。
 もし、好きな人が悲しい思いをしていたら・・・。
 私だけが、喜んでいてもいいのかな・・・?
 もし、これがキッカケで、亀裂が入ったら・・・。
 私は、どうすればいいの・・・?
 ミウはキュッと口を閉めて、ヒロナの話に頷いた。
 

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