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【小説】 雨のラカンパネラ。


 どうしてリオンくんが、私と一緒にいてくれるのかが分からなかった。一度、告白してるのに。私はフラれたはずなのに、何も変わらず接してくれる。二歳も年下のクセに、お兄さんみたいな顔をして、メールをしたり、こうして会ってくれる理由が分からなかった。
 リオンくんは私に恋はしていないけど、私のことは好きなんだと思ってた。でも、もしかしたら、私がリオンくんを好きみたいに、彼も少しは好きなのかな。好きって言葉が頭の中をいっぱいにしてる。

 黒のロングコートで現れた森口リオンは、やけに大人っぽく見えた。ビニール傘は高級なものに見えたし、ワンポイントのキツネ色のニット帽が可愛い。ピアニストの雰囲気ゼロ。華やかで、とてもお洒落な男子そのものだった。
 対して私は、上から下まで真っ黒コーデ。頭も首も保温を優先し、全身モフモフ。どこかの、ゆるキャラみたいなシルエットになっていた。

「お疲れ!」

 職業病だ。日常的な挨拶に「お疲れ」と言ってしまう。なんか大人ぶってるみたいで、一瞬、背中がゾクリとした。でも、リオンくんは、不思議がる様子もなく、手袋をはめた手を上げて「おつかれ」と言ってくれた。そして、

「歩こうか?」

 少し高めな声。でも、子どもっぽくない。静かな話し方が、落ち着きを感じさせるのかもしれない。綺麗な二重まぶたが、柔らかく三日月形に曲がった。リオンくんの表情につられて、私の顔の筋肉も動くのが分かる。

「テレビとかにも出て、忙しそうだね」
「いやいや、リオンくんだって忙しいでしょ?」
「まあね。本当は、この時間も練習してないといけないかな」
「ほらぁ、大丈夫だったの? 今日は?」
「朝の三時に練習始めて、今日の分は終わらせてきた」
「うげぇ、三時!?」

 リオンくんは、嘘か本当か分からないような笑い声を上げた。傘にあたる雨音がステップを踏んでるみたいに軽やかに鳴った。

「やっぱり、この世界は難しいね」

 その言葉の意味が分からなくて、彼の顔を見ると、とろんとした目で遠くを見つめていた。きっと、今、リオンくんの耳には何かの音が聞こえている。街の喧騒でも、雨音でもない、ピアノの音色が。

「今、なんの曲が流れてるの?」

 そう言うと、リオンくんは目が覚めたみたいに、目を大きくした。大人の空気が一変、子どものように目の中で星がチラチラ光っていた。

「ごめん、聞こえた?」
「なんの曲かは分からないけどね!」
「ラ・カンパネラ」

 超絶技巧としても有名な、フランツ・リストの代表曲。一度は聞けば、誰もがその曲の魅力に取り憑かれる。魔性の曲だ。演奏者によって驚くほど表情を変える曲でもある。

「そっかぁ、リオンくんはあの曲も弾けるのか。聞いてみたいなぁ」
「これまではショパンとリストばっかり弾いてたからね。今はバッハとかハイドンとかベートーヴェンとか、古典音楽の練習に追われてて。ちょっとシンドいかな。だから、なんか恋しくなっちゃって。この雨も幻想的だなと思って。だから、ラカンパネラ」

 口数の少ないリオンくんが、饒舌に語った。それも、弱音を!
 なんか、こう、繋がっているような気がした。彼が言わんとしてることが身体で共感できる。私の中には、いくつもの音楽が流れていた。普段から聞いてきたクラシックの数々が。そして、バンドマンとしての経験が。
 私の心の中の“好き”がどんどん、膨れ上がっていった。


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