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【小説】 大人の話

【ヒロナ】

 「みんな、本当にすごいよ。チケット完売! おめでとう!」

 阿南さんが興奮して言った。ライブの一週間前だった。彼の笑みには、喜びだけでなく、安堵や充実感が見える。きっと、私たちの知らないところでの苦労が多かったのだろう。
 停滞していたリハーサル室がパッと明るくなった。口にはしなかったが、みんなチケット状況を心配していたのだろう。スタジオに流れる空気には、不安材料がなくなった安心感と自信が混じるようになった。

 「ありがとうございます。阿南さんのおかげですね!」

 心からそう思っていた。スケジュールはキツイが、彼の「バンドを売りたい」という熱い気持ちは、日に日に増している気がする。
 高い熱量には応えたくなるのが、人情だろう。期待に応えるべく、リハーサルにも自然と力が入る。

 「いやいや、ボクは大したことしてないよ。やっぱり朝倉さんの力が大きいと思う。あの人は、業界の繋がりも多いし、スピーカーのような存在でもあるから、大々的に宣伝しなくても、広める力が半端ないよね」

 「スピーカー」という言葉の意味が分からず、難しい顔をしていたと思う。業界用語には本当にたくさんの種類がある。朝倉さんはスピーカー。言葉の意味を理解しようと、勝手に妄想が膨らんでいった。
 スピーカーというのだから、「声が大きい」ことから何かが派生しているに違いない。確かに、初めて朝倉さんと会った時も、声が大きい人だなと思った。
 声が大きいとどうして広める力があるのだろうか・・・、それが分からない。

 「あ、ごめんごめん。これだけじゃ、朝倉さんが怪しい人みたいか・・・」

 たぶん、私が怪しんでいる顔をしていたんだと思う。そんなつもりではなかったけど、長く付き合っていく存在として朝倉さんを紹介されたから。
 心のどこかで警戒心があったのかもしれない。それが出てしまったのだろう。

 「えっとね、あの人は、良いと思ったモノはとことん人にオススメするクセみたいのがあるんだ。それは偉いとかに関係なくね。それで交流が広いから、彼の声は、思いもよらないところまで大きく広まってくれる」

 なるほど。それで「スピーカー」というワケか。シンプルなことだが、熱量持って誰かに何かをオススメすることは意外と難しいのかもしれない。一方通行になってしまうし、相手が引いてしまう可能性があるから。
 ヘタすると、面倒な人と括られてしまうかもしれないが、朝倉さんは、そこのバランスが上手いのかもしれない。

 「やっぱり若いってのは凄いことだよ。“フットワークが軽い”ってのは、これからの時代を走る上での必須条件なのかもしれないね。だから、会社の中でも次世代を担うエースって言われてるんだ」

 「へえー・・・!」

 四人全員の感嘆の声が揃った。先生と親以外に大人と接する機会がなかったため、こうした実社会で働く生の声を聞くのが純粋に面白かった。

 「え、それって、朝倉さんは計算してるんですか?」

 私は、急に朝倉さんに対する興味が増した。心の中の警戒心の石はどこかへ転がっていってしまった。
 もしかしたら、これがオススメする力というやつなのかもしれない。阿南さんが朝倉さんという人間を褒めたから。興味が湧いた。

 「半分、計算、半分、素って感じだと思うよ」

 「え、凄い。どういうことですか?」

 マキコちゃんが乗ってきた。今の話を聞いて、自分と共通するモノを感じたのかもしれない。体型や容姿に恵まれた彼女は、セルフプロデュースに人生を捧げてきた。誰にどう見られているかを意識して。それで自分で自分の首を絞めてしまったこともあるのだろう。人生のほとんどが計算だった。
 だから、大人の世界の“生きた言葉”には敏感なのかもしれない。

 「うーん。これはあくまでボクが思うことだけどね。フットワークが軽いのは計算で、人にオススメするのは完全にクセだと思う。クセというか性格かな」

 「フットワークが軽いっていうのはどういうことなんですか?」

 さらにマキコちゃんの質問は続く。確かに、フットワークという言葉をよく耳にするが、その実態をちゃんと理解できているワケではなかった。

 「飲み会に誘われたら、誰がいようと必ず参加するし、自分からも色々な場所にドンドン飛び込むってことかな。予定が被っていたとしても、少しだけでも顔を出すマメさもある。だから、なおさら色々な人から声がかかるんだと思うよ。まあ、それが直接的に仕事に繋がることは稀なんだけど、こうしてバンドのチケットが売れたりだとか。その恩恵をしっかり理解しているんだと思う」

 「なるほど・・・」

 「それこそ、体力がある若いうちにしかできないことだよね。ボクなんか、家族のこともあるし、なかなかそうもいかない」

 マキコちゃんは何かを考えていた。こんな話は親からも聞けない。大人の世界の話を聞いたところで意味が分からないかもしれないから。でも、その意味で阿南さんは、私たちを対等に見てくれている気がした。
 大人の話だろうが、素直に質問に答えてくれる。そこに嘘はない気がした。

 「あ、別にこの話は、朝倉さんの性格にマッチした生き方だったって話で、みんなにもそうした方がいいって話じゃないからね。それは勘違いしないでください。人それぞれだからさ。でも、そんな彼が、今、みんなを一緒にサポートしてくれてるってことだから。また、機会でも合ったら、食事でもしましょう」

 とても勉強になる。大人の世界って大変だ。朝倉さんは、どうしてそんな生き方がマッチしたのだろうか。あと半分の“素の部分”はどうなってるんだろうか。

 「ってことで、練習再開! ごめんなさいね、リハーサルを止めちゃって。ワンマンまであと一週間! チケットも売れたことだし、どうか、楽しんでください!」

 質問しようとした寸前に阿南さんは話に区切りをつけた。
 高校生活と音楽生活の中に入ってくる大人の話は、この上なく刺激的だった。他の同級生と比べると、すでにアッチ側に足を踏み入れてしまっている。
 いつかは必ずアッチ側の住民になることは分かっていても、まだ、私には、遠い世界のように感じた・・・。

 2500字 1時間21分

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