【小説】 難しいなぁ
家に帰ると、すぐにドラムセットの前に座った。ラバーに覆われたハイハットをポンと叩く。音はしない。そりゃそうだ。電源も入れてないし、ヘッドホンもしてないんだから。スネアを叩いても、ペダルを踏み込んでも、シンバルを強めに叩いても、ゴムが跳ね返す鈍い音がするだけ。虚しい。
アキちゃんとリオンくんの顔が頭に浮かぶ。コマ撮りアニメみたいにカタカタ動きながらナニカを話してる。二人とも幸せそうに、いくつもの困難を乗り越えたような顔をしている。音楽を奏でる理由を尋ねたら、きっと二人とも平気な顔をして「生きるため」なんて答えそう。私みたいな根無し草とは違う。二人は芯から音楽に染まっているから。
電源を入れてヘッドホンをつけた。もう一度ポンとスネアを叩くと、今度はジャンと音がなる。でもセンサーの反応が悪い。力なく叩くと、音は鳴ってくれない。ニュアンスがまるで出ない。ああ、新しいの買おうかな。
強めにシンバルを鳴らすと、耳がキンとなるくらいデカい音が響く。大きい音にはニュアンスがのるのにな。今は、そんなに強く叩く気分にはなれないよ。
BPMを160にセットし、8ビートを刻む。ピッピっピッピという機械音に合わせてドラムを鳴らす。日々の練習の成果は恐ろしく、機械のように一定のリズムを叩けるようになってきた。早いテンポでもボリュームのバラつきはなくなり、自分が鳴らしてる気がしなくなる。不思議な感じ。
ドラムを叩いていると、頭が空っぽになる。
面倒臭いこと全部。汚れたもの全部。
自分の出す音の中に、自分がふわっと吸われて消えてしまう。
この感じが好き。
いいことも悪いことも消えていく。
最近は悪いことの方がだんぜん多いからオッケー。
頭の中の遠くに新曲のピアノの音色が聴こえてくる。ミウが弾くままの音で。さらに、アキちゃんの歌、ベース、マキコちゃんのコーラス、ギター。次々に音が重なっていく。でも近くで意識しているのは、自分のドラムの音。
だめだ。早すぎる。
BPMを117に合わせ、もう一度始めた。
気付けば1時間が経ち、汗が身体中から吹き出していた。息は上がってないのに、身体が熱を帯びてる不思議な感じ。鏡に映る自分は、バンドマンというよりも運動部の誰かの姿みたいだった。そのまま服を脱ぎお風呂に入る。裸になった自分を鏡で見ても、やっぱりバンドマンには見えなかった。快活なスポーツ少女だよね。
湯船に浸かると、身体が溶けていくみたいだった。最初は皮膚の表面だけが温まり、徐々に芯まで熱が伝わる。はあ、とため息が出た。
“難しいなぁ”
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