【小説】 恋に落ちる。
自分からやりたいと思い続けてきたはずなのに、いざ本番が近づくと嫌になる。こんなことの繰り返し。楽屋でメイクをして、ドタバタの中で幸せを感じて、せっかく気分上々だったのに。
ヒロナは音楽祭の始まりを告げる暗転に、急に気分が沈み始めた。アナウンスに続き、グランドピアノの音が響き渡る。オープニングは全校生徒による校歌斉唱からはじまった。
開演前の大雨みたいな喧騒も、機嫌が直ったみたいに静かになる。ピアノの音色に世界が溶け出した。アタックの強い音。指のタッチにムラはあるが、下から雨が降り出すみたいに力強い。単純にメロディをなぞるだけでなく、和音やトリルが入り、まるでジャズのような伴奏だ。それでいて、校歌という枠からは外れていない。ヒロナは素直に「うまいな」と思った。
「あの子、一年生らしいよ」
耳元で私の気持ちに応えるみたいな声がした。隣を見ると、ミウがにやりと笑っている。その奥では薄闇の中でアキが目をキラキラさせている。どうやら、みんな同じことを思ったらしい。ドクンと心臓が胸を打つ。
華やかな演奏に合わせてホール内に声が響く。生徒数の割に声が小さいが、それを補うくらいにピアノが凄い。グランドピアノに上体をかぶせるように情熱的にピアノをたたく男の子。身体が小さいのか、やけにピアノが大きく見える。無造作に伸びた髪の毛と、その細い線から、遠目には女の子にも見えた。
男の子は、えたいの知れないエネルギーを内側からピカピカ光らせているのに、背中にはシンとした静けさを背負っている。それが妙に魅力的で、歌うことを忘れさせてしまう。先ほどまでの沈んだ気持ちが嘘みたいに、むくむくと胸が上を向き、身体中がかっかと熱くなる。
ヒロナは、初めて恋に落ちた・・・。
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