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【小説】 アキちゃんのソロライブ。


 座席に着くと同時に客電が落ちていく。一階は全てスタンド席、二階のバルコニー席の一部に座席があり、私たちは並んで座った。奥の席には、すでにリオンくんが姿勢よく座っていた。
 映画館とは違い、暗くなるほどライブ会場は盛り上がる。そこかしこから「アキー!」「アキちゃーん!」と黄色い声が飛び交う。客席の年齢層が若く、女性の比率が高いせいか、いつものライブみたいな獣臭さがない。
 袖からスタスタと体の小さな女性のシルエットが見えた。その途端、さらに黄色い声のボリュームが上がる。すごい。いつも自分達が浴びてきた歓声を、客席側から覗いているのだ!

「こんばんは、アキです」

 薄闇の中から、その一言が会場に響いた。続いてアコースティックギターのコードが鳴り響く。爽やかなコード進行。これは『HIRON A‘S』の初期の曲だ。バンド結成して、初めて学園祭で演奏した曲だ。思わず隣に座るミウの膝をゆすると、ミウは大きく頷きニヤリと笑った。

 アキちゃんが歌った途端、会場の空気が止まった。ほんの一瞬だけ、驚きの間が生まれたのだ。こんな綺麗な声、聞いたことがない。透き通った、天女の囁きみたいな優しい声。学園祭でも同じリアクションを見た。その時、私は「勝った」と思った。谷山アキという存在を、世界に証明できると確信したのだ。
 フラッシュバックする当時の光景に胸がザワつく。目の前に広がる夢のような現実と郷愁が上手く結びつかなかった。嬉しいはずなのに、喜ばしいはずなのに、何かが溢れていく感覚がある。掬った水が、手から流れていくみたいに。

 ステージにカラフルな明かり点いたのはサビに入ってからだった。そこまでは薄闇の中で歌い続けるという演出。きっとアキちゃんの提案なんだと思う。暗闇の中だからこそ、見える景色がある。人は想像し、見えないものを見ようとする。『HIRON A‘S』でも同じ演出をしたことがあった。でも、これは歌い手の実力がなければ成立しない。歌に力がなければ、冒頭から客の気持ちを離してしまう危険もあるからだ。でもアキちゃんには、そんな心配は無用だった。むしろ、その効果が累乗されるように発揮される。

 アキちゃんの衣装は全身が白で揃えられていた。白いロングスカート、白いチェック柄がプリントされたノースリーブの白Tシャツ。アクセントで、靴はエナメルのブーツ。耳には黒いイヤリングが光っている。前髪は下ろしているが、流しているため、片目だけがチラチラと覗いている。清潔感がありながら、この世のモノとは思えないような浮世離れした空気も漂っている。人をワクワクさせる存在感があった。

 客席を見回すと、誰もがステージに釘付けになっている。中には手を拝むように組んで、目をハートにさせている女子もいた。心酔してるって、こういうことかもしれない。でも、それはアキちゃんと初めて会った時から感じていた。アキちゃんの奏でる音楽には、人を惹きつける力があるのだ。

リオンくんは———。

 私はハッとして、関係者を挟んだ奥に座る彼に視線を送った。目は照明が反射しキラキラと輝いているが、瞳孔が揺れ、口が微かに震えている。
 ドン、と背中を押されたような衝撃を覚えた。

 やっぱり……、アキちゃんのことが好きなんだ。


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