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【小説】 嫉妬が生む創作。


 身体を動かすと不思議と力が抜けていく。考えたくても、思考できない。ただ音に意識が引っ張られ、ドコドコ、ダカダカ。一定のリズム、テンポに集中していく。ドラムは、いや、楽器は身体だ。自分と一体化する。本当の自分の身体ではないんだけど、自己が拡張されたような気になる。この音は、私の音なんだ。私が鳴らしている音なんだ。
 少しずつ腕に疲労が溜まり、じんわりと汗ばんでいく。残念ながら私は頭皮から汗が噴き出すタイプらしく、女優さんみたいに顔だけかかない人ではなかった。全身の毛穴が開き、全身の穴から汗が出る。胸、背中、そして太ももまで湿っているのが分かった。ドラムって全身運動なんだよね。
 汗と一緒に黒い感情も流れていく。嫉妬と愚痴。女の悪徳までドラムは消してくれた。私がスティックを振り回すたびに、音符がぷかぷか浮かび出し、シャボン玉みたいにパチンと弾けて消えていく。悩んでたのが馬鹿らしくなる。
 目尻の横を通った汗が、涙みたいに流れていった。

 シャワーを浴びて、携帯電話を確認するとメールが一件。リオンくんからの連絡だった。急いで開くと「谷山アキのソロライブに行きたい」だって。思わず携帯電話をクッションに投げつけた。せっかく気分爽快だったのに。
 小さくため息をついてから、パソコンを開き、再び音楽制作に取り掛かった。女の嫉妬。これが次の作品のテーマ。勝手な妄想で、勝手に傷ついて、勝手に復活して、勝手に折り合いをつける。私の話を聞いてよね。もっと耳を傾けて。あなたの話も聞きたいけど、それ以上に喋りたいの。あなたに言葉を伝えたい。ノートに書き殴られた歌詞。ほんとわがままだと思う。でも、根っこはシンプルなんだよ。あなたが好きなの。

 時刻は18時を回ったばかりだったけど、すでに空は闇色に染まっていた。窓を閉めているのに、空気が湿ってきたのがわかる。思った数分後には、ポツンポツンと、ベランダの柵が雨に濡れた。
 雨のおかげで人の気配がすっかり消えた。塾帰りの子どもたちの声もなくなり、私は静寂を手に入れた。

「じゃあ、今度の土曜、一緒に行こう!」

 元気な顔をした文字を送信した。こんなに静かな空気の中で打ったとは思えない。雨の調べが、しんと静まったリビングの隅々まで降りしきっているのを感じた。目を離したら、すぐに燃え盛りそうな烈しい感情を鎮火してくれる。そんな綺麗な雨音だった。

 再び携帯電話を投げつけてから、弟が帰ってくるまでの数時間、私は一心不乱に曲を作った。リオンくんと、アキちゃんを想って。アコースティックギターとピアノの曲にした。二人の共演を想像すればするほど、嫉妬の炎がゴウゴウと大きくなり、私は火の粉をかき集めるように曲を作る。健全とは言えないかもしれない。壊れたと思われるかもしれない。
 でも、今の私にはそうすることしかできなかったんだ。


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