【小説】 恋愛模様。
———リオンくんはアキちゃんのことが好きなんだと思ってた。
私の言葉に、リオンくんの目が揺れた。何度も目をしばたたかせ、唾を飲み込んだ。
「……よく分からないんだ」
そう言って、リオンくんはテーブルの上に置いた指を動かした。ピアノを優しくタッチするみたいに、ゆっくり右へ左へと手が動く。曖昧なセリフと裏腹に、指運びはやけになめらかだった。私の方こそ分からないよ。
「オレ、確かに谷山アキに惹かれてた。でも、それは彼女の才能に対する憧れだったのかもしれない」
リオンくんの体温がスーッと下がっていくのが分かる。見えないピアノから音楽が流れてくる気がした。まるでピアノと対話してるみたいに、彼は静かに話し始めた。言葉が音符になって、空気に触れては、消えていく。
「初めて皆のレコーディングに立ち会わせてもらった時、彼女に声をかけたんだ」
頭を叩かれたみたいに、記憶がフラッシュバックする。数ヶ月前。ピアノ指導として、リオンくんにレコーディングを手伝ってもらった日のこと。彼はアキちゃんの収録が終わると、アキちゃんと共にスタジオを後にした。
「とても素敵な歌でした、って。でも彼女、口を開けて何か言いたげにしてるんだけど、結局、なにも答えずに去って行っちゃって」
別に私たちは恋人同士でもないのに。私はその光景を思い浮かべるだけで、息が詰まりそうだった。アキちゃんの反応がありありと脳内で再現できてしまう。照れて、口をすぼめて、顔をりんご色に染め上げただろう。本当は「ありがとう」って言いたかったに違いない。でも、そんな時に限って、吃音の症状が出てしまったのだろう。だから、彼女は沈黙を選んだんだ。
「オレ、その時、何かが終わったんだと思ったんだ。彼女の目があまりにも悲しそうだったから。唇が震えて、鼻をひくひくさせて、泣いてるみたいで。なんか、いけないことをしたんだって」
違う。嬉しかったんだよ。話しかけてもらえて。褒めてもらえて。だって、アキちゃんもリオンくんのことが好きだったんだから。
歯痒い気持ちのすれ違いに、思わずため息が出てしまう。
リオンくんは、こちらを見ると、小さく頷いた。
「コンクールも控えてて、不安だったんだと思う。たぶん、心の安寧を求めてた。だから、熱でも出たみたいに自分の気持ちを恋だと勘違いしてたのかもしれない。本当に彼女のことが好きだったのかは分からないんだ。でも、いつも、ヒロナのことも頭にあって———」
言い訳じみた言い方で、今度は私に対する想いを語ってくれたけど、私の耳に言葉は届かなかった。それよりも、私はアキちゃんのことを思ってた。このまま、私とリオンくんが付き合うことになってしまったら。アキちゃんの気持ちはどうなるのだろうか。二人は、ただのすれ違い。コミュニケーション不足。たったそれだけ。私が手を差し伸べたら、きっと二人はうまくいく。こんな簡単な未来予測はない。私だけが知っている。
リオンくんの顔。苦しそう。何かを必死で喋ってる。いつの間にか、指の動きが止まってた。私を心配そうに見てる。やっぱり、見たことない表情。これが、人を好きになってる時の顔なのかな。頭の中がグルグルして、なんて言ったらいいか分からなくて。私は席を立ち上がってしまった。財布を取り出して、お会計を済ませ、外に出ると、まだシトシトと雨は降っていた。私は空を眺め、雨の降ってきた先を覗こうとした。
後ろからバタバタと慌ただしい音がした。カタコトの「ありがとうございました」の声が聞こえる。私は微動だにしなかった。雲が落とす雫が、アキちゃんの涙に思えてならなかった。ぎゅっと、拳を握ってしまう。
目の前にビニールの膜がかかり、視界が遮られた。隣には傘を持ったリオンくんが立っている。私より少しだけ背が高い。小柄な男の子。私が好きな人。
「私はリオンくんのことが好き」
天に祈りを捧げるように、私は言った。
ただ、自分の気持ちに素直に。
「オレもです」
私たちは、付き合うことになった。
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