【小説】 朝が過ぎる
「発表会に来てほしい」
森口リオンから届いたメール。たった一言の短い文章を何度も読み返す。時期はいつなのか。場所は、時間は・・・。読むたびに疑問が湧き、ギュンギュンと胸が騒いだ。
朝だというのに思考が止まる。クリアだったはずの脳内が、森口リオン一色に染まってしまう。こんな時こそ、クラシックを聴こう。慌ててイヤホンを耳にはめ、iPodを振る。ドーン、と重低音が響いてから、緩やかで叙情的な旋律が始まった。
気分を落ち着かせるために、ホットココアを飲むことにした。ミルクを電子レンジに入れて、スイッチを押す。ブイーンと音をたて、橙色の光がカップを温め始めた。そういえば、今朝は肌寒い。これから夏を迎えようとしているのに、急に気温が下がった気がする。これを最後に本格的な夏が来るのだろう。
ゆっくりとココアをすする。ホッと一息つけると思ったが、いつの間にか耳から流れる曲が変わり、踊り出したくなるような軽快なメロディが心を囃し立てる。わかった、わかったよと自分に言い聞かせるように、携帯電話を開き、返事をすることにした。
「久しぶり! ぜひ行きたいと思うから、日時と場所を教えてください!」
散々文面を考えて、打っては消してを繰り返したのに、送信してから後悔をする。どうして絵文字の一つも使わなかったのか。敬語を使ってしまったのか。素直に連絡が嬉しかったことを書かなかったのか。あーあ。朝の時間が過ぎていく。
私の後悔をよそに、彼とのやり取りは続いた。
学校が主催する今回の発表会は、テストを兼ねているらしい。ここでの評価がそのまま成績に響くんだとか。同じく音楽の世界にいるはずなのに、まるで別世界の話を聞いてるようだった。
彼とのメールが終わり、携帯電話を閉じる。
頭がポーッとした。
書きかけの朝の日記に目を落とす。
何を書いていいかわからなくなる。
空白部分がやけに白く見えた。
耳からは荘厳な協奏曲が流れてくる。
ピアノとオーケストラの融合。聞いたことのある曲だった。
ラフマニノフじゃなかったっけ?
iPodの表示を確認する。
R・A・C・H・M・A・N・I・N・O・V
ビンゴ! やっぱりそうだ!
カップに手を伸ばし、ココアを飲む。
小さな驚き。
ココアはすっかり、冷めていた。
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